1995年に全日本F3選手権のシリーズチャンピオンを獲得し、翌1996年にはフォーミュラ・ニッポンにステップアップ。1997年にフォーミュラ・ニッポンのシリーズチャンピオンを全戦表彰台に上がる活躍で獲得するなど、F1昇格までの道のりにおいて日本との縁が深いドライバー。
1999年、アロウズからF1デビューを果たし、開幕戦オーストラリアGPではいきなり6位入賞を果たした。しかし、チームの資金難もあり、その後はパッとしなかった。 そして2000年もアロウズ、2001年、2002年にジャガーのレギュラードライバーとして在籍するが、シーズン終了後シートを喪失。
2003年からマクラーレンのサードドライバーとして契約。
2004年にマクラーレンはコンストラクターズランキング5位となったために、2005年のレースウィーク金曜日において3台目のマシンを走らせる権利を獲得、そのため主にデ・ラ・ロサが金曜日のフリー走行に参加した。これは、当初マクラーレンのシャシーが大柄なアレクサンダー・ヴルツのサイズに合わなかった為と言われていたが、その後もデ・ラ・ロサが優先されていることから、エースドライバーのキミ・ライコネンとドライビングスタイルが似ていることが大きな理由であると思われる。なお、第3戦バーレーンGPでは怪我で欠場したファン・パブロ・モントーヤに代わりレースに出場し、5位入賞を果たすとともに、初のファステストラップを記録した。
2006年モントーヤが来期のNASCAR参戦と共に、シーズン途中でのチーム離脱を発表。これによりフランスGPより彼が出走する事が決定した。
迎えたフランスGPでは7位入賞を果たし、第13戦ハンガリーGPでは、自身初の2位表彰台に上がった。先日のトルコGPでも5位入賞。
※上記はサイトのものを移したものであり、僕の知識ではありませぬ。新参者ではありますが、なにとぞヨロシクです☆