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日本サッカー夜明け前

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詳細 2019年3月10日 16:18更新

日本サッカーの暗黒時代、いや、夜明け前を語りあい、ボヤこうという趣旨のコミュニティです。

■期間
1980年から

1993年のオフトジャパンW杯一次予選まで。

■語り合うこと
1980年から〜1992年までの期間、日本サッカー界に起こった全ての事象&1993年のオフトジャパンW杯一次予選。

●「日本代表」(93年の一次予選まで)
●「JSL(日本サッカーリーグ)」
●「J初年度」
●「1992年のJリーグカップ」
●「天皇杯」
●「JSLカップ」
などなど。

※オフトジャパンはもちろん討論可能ですが、ドーハでの「アメリカW杯最終予選」「J初年度」については
http://mixi.jp/view_community.pl?id=100197
「ドーハの悲劇」の方へどうぞ。

(日本代表歴代監督)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A3%E8%A1%A8
※川渕監督以降でお願いします。

(日本サッカーリーグ)
歴代優勝チーム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0
※80年のヤンマー優勝以降でお願いします。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★
80年代中盤。あの頃の代表の試合会場のピッチコンディションはインドネシア代表が激怒する程酷かった(西が丘)スペインも、ロサンゼルスも、メキシコの青い空も、ソウルも、イタリアも、夢のまた夢だった。1985年当時九州の僻陬で少年サッカーに入り、燃えよサッカーを歌っていた僕は小学5年のクソガキ。伝説のメキシコW杯予選の日韓戦に観戦に行ける筈もない。世間が注目しているのは阪神VS西武の日本シリーズ。池田が長髪を振り乱して投げ、バースが打席に入っている裏で行われていた試合をテレビ観戦した。日本代表は木村和司が伝説のFKを決め、負けた。日本シリーズを見たい親父からキ○ガイ扱いされながらチャンネル権を奪ったけども。このころ地方の長閑な昼下がりの陸上競技場で、寝ている観客や全日空のチアガール(伝説)の前でやってたのが「社会人サッカー」日本サッカーリーグ。それでもラモスや戸塚やジョージのパス交換、木村のFK、松浦(日本鋼管)や原のヘッド、全日○選手の試合放棄などを小さな会場で酔いしれた。でも地方の僕たちが真似するのは和司や名取のFKや金田のキンタダンスでは無く、翼くんのドライブシュートや、ビデオで見るルムメニゲやマラドーナのドリブルやシュートだった。九州の僻陬にはサッカーの情報が殆どなく月1回発行されるサッカー専門誌2紙だけが楽しみ。少ない情報の中でティベール親父にエスプリを叩き込まれた。90年代。横山監督に絶望したあの頃。佐々木や福田や浅岡や森(フジタ)をWBにコンバートする怪腕を呪いそれでもラモスやカズや菊原、磯貝の代表入りに一縷の望みをかけた。最初の希望は91年。リネカーのいる観光気分のトッテナムに4点入れて勝った事。でも僕が始めて生で観戦した代表戦、同じ年の長崎・諫早の日韓定期戦には負けた。観衆は6000人、JALの長崎〜羽田戦就航記念試合だった。試合後、横山はもう駄目だと隣の大学生が吐き捨てた。チェスンホは「100年かかっても韓国サッカーに追いつけない」と嘲笑したという。そしてオフト就任。いきなりダイナスティカップ&アジアカップ広島大会で優勝。日本サッカーの苦闘時代に養った潜在能力(少年サッカーの普及による個人スキルの向上)を発揮するようになってきた。オフトのおかげでファンやマスコミの間でも「チーム戦術」の何たるかの共通意識が出来た。彼が盛んに言った「トライアングル」「アイコンタクト」「コーチング」「チェイシング」をマスコミがいきなり使い始めた。そして、Jリーグのお披露目興行である、Jリーグカップの客入りも好調。大宮ではゴールのたびに客が乱入している。苦闘時代を過ごしたファンは「はじまりの予感」の衝動を抑えきれないのだろう・・・何かが変わりはじめた。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★


そんな時代を語りたい人、管理人(75年生まれ)が全く知らない80年代初頭の川渕サッカー(第一次黄金の中盤)を語りたい人、日立の碓井(釜本2世)や、マッチョマンの手塚(フジタ)や、読売クラブの湯田や千疋を語りたい人、細川周平のサッカー狂いを愛読した人・・は、是非ここで語って下さい。

■追記
最近、押し入れの中から出てきた、サッカーダイジェスト1991年1月号(14年前)を読みました。

後記の編集長K氏の言葉。

「アジア大会で負け、また、ユースでもアジアの厚い壁を突破する事ができなかった。本大会に出場するには、自国開催の道しかないのだろうか。ビックイベントの予選が終わるたびに、こんな内容の後記を書いてきたように思う。もっと明るい後記のネタを提供して!!」

こんな時代でした(泣

この後記の隣では、当時編集部に所属していた粕谷秀樹氏、金子達仁氏が気楽なコメントを残しています(笑 このお二方は後記でそれぞれ御贔屓のマンUとボルシアMGの話題で対決されていました。

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開設日
2005年2月27日

7023日間運営

カテゴリ
スポーツ
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