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フランコ将軍

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詳細 2019年6月29日 12:21更新

 フランシスコ・フランコ・バアモンデ(Francisco Paulino Hermenegildo Teódulo Franco y Bahamonde Salgado Pardo, 1892年12月4日 - 1975年11月20日)は、20世紀スペインの政治家、独裁者、軍人。

 1892年12月4日、スペイン北西部ガリシア地方のエル・フェロルに生まれる。1907年に陸軍士官学校に入学。スペイン軍最年少の少将となる。1935年陸軍参謀総長。1936年2月の総選挙の結果、人民戦線政府が成立。フランコは、カナリア諸島軍司令官に左遷される。スペイン国内に右翼を中心に反人民戦線政府グループを組織化する。7月スペイン領モロッコで反乱を起こし、スペイン内戦が勃発する。ドイツ、イタリアの支援を受け、1939年8月に政府軍を破り、ファランヘ党の党首・国家主席に就任、一党独裁体制を敷く。第二次世界大戦ではヒトラーの再三にわたる参戦要請をはぐらかし、ヒトラーをして「スペイン人と交渉するなら、歯を抜いたほうがましだ」と言わせしめた。枢軸国側について参戦する誘惑を退けて終始、中立を守った。戦後は、1953年にアメリカと軍事協定を結んで国内に米軍基地をおいた。1955年には国連加盟を果たした。 ファシズム国家の指導者としては異例の長期政権を維持し続け、終身総統として天寿を全うした。自身の後継者として、国家の安定と統一のため、ブルボン家のファン・カルロス王子(後のスペイン国王ファン・カルロス1世)を指名した。

*独ソ戦が始まるとフランコは,直ちにナチス・ドイツへ約2万からなる義勇兵「Division azul」(=青の旅団)を現地に派兵。士気は十分であったが,言語問題や飢餓でドイツ敗北と同時に解散。枢軸国が不利になった時から,「厳正中立」を宣言し,終戦を迎える。
彼の墓は現在、マドリード郊外のフランコ将軍専用墓地にある。有料。
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