アントニオ・サラザール(António de Oliveira Salazar、1889年4月28日 - 1970年7月27日)はポルトガルの権威主義的独裁者。
コインブラ大学政治経済学教授から1928年蔵相に就任し、世界恐慌の危機の下で1932年首相に昇格した。翌33年新憲法を制定して新国家「エスタド・ノヴォ」の成立を宣言、長期にわたるファシズム独裁体制を敷いた。1937年スペインにフランコ将軍のファシズム政権が誕生すると、直ちに承認し、1939年には友好不可侵条約を締結した。第二次世界大戦ではスペインとともに中立を宣言、連合軍の勢いがますとアゾレス諸島を米軍基地に提供するなどした。このため、独裁体制は戦後も長期にわたって継続し、1968年病によって辞任した。1970年没。しかし独裁体制は後継のマルセル・カエターノ首相によって維持され、1974年のカーネーション革命によって打倒されることになる。
サラザールの私生活は謎に包まれていた。孤独を好み、素性の知れぬふたりの少女と暮らし、フランスの女性ジャーナリストが愛人だったという噂もある