この際法的なきまりでいうところの「有害図書」はどっちでもいいや。
泥棒にも一分の理てゆーのとちょっと似てる。「有害」なものが何故うまれたのか、理由があるはずなのだ。
目的は、ジョーシキとかに挑戦して、ちょっとした反抗を続けること。
なぜならば、世に出回る通念に逆行することで物事の真理にタッチ出来そうなときは一杯あるからだ。キモチイイことかって?お嬢さん、愚問deathぜ。
そいつぁ悪魔のささやきに耳を貸して片時でも恍惚としたことのあるボクタチの特権なんだ!
んー、見えるぞ見えるぞ、世の中の構造が。クッキリ見渡せるぞ。
これで薄汚い連中の陰謀に騙されないぞ。
そもそも悪いのは「有害図書」を読んでるボクタチなのか?常識に右向け右をして鼻をつまんでいる奴らなのか?
親切心だろうが殺意だろうが、「有害図書」を通して自分に正直になりたいヒトのためのコミュニティです。