本コミュニティは、日本海軍の戦艦「長門」を愛する者の集いです。
姉妹艦「陸奥」と共に「日本の誇り」と国民に親しまれた戦艦「長門」。
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戦艦「大和」のコミュに追いつき追い越すことが目標であります。
写真は昭和19年10月21日、決戦を控えブルネイで待機する「長門」。
「長門」データ(多分1944年時)
排水量:(公試)43,580t
長さ:(全長)224,94m(喫水線長)221,07m
機関:ロ艦本式罐・重油焚×10基
主機:艦本式オールギャードタービン×4 4軸推進
出力:82,000馬力
最大速力:25.0ノット
航続距離:16ノット-10,600海里
燃料×満載:重油×5,780t
乗組員:1,368人
武装
45口径41?連装主砲×4 50口径14?単装砲×16
40口径12.7?連装高射砲×4 25?3連装機銃×16 連装×10 単装×30
装甲
水線305? 甲板120? 主砲塔356? 司令塔370?
飛行機:水上偵察機×3(零式水上観測機) カタパルト×1
略歴
1917年(T6)
8/28 呉海軍工廠にて起工
1919年(T8)
11/9 進水
1920年(T9)
11/15 竣工。横須賀鎮守府に籍をおく
12/1 連合艦隊(GF)第1艦隊第1戦隊に編入
1923年(T12)
9/1 大連沖で観閲中、関東大震災の報を受け東京へ急行
1929年(S4)
5/29 天皇陛下の関西方面行幸のお召し艦となる
1934年(S9)
4月 大改装開始
1936年(S11)
1/31 大改装完了
2/26 ニ・ニ六事件に際し出動
2/27 品川沖より国会議事堂に主砲照準
1938年(S13)
12/15 GF第1艦隊第1戦隊に編入。GF旗艦となる
1939年(S14)
9/1 和歌山市沖にて、山本五十六を司令長官に迎える
1941年(S16)
12/2 GF旗艦たる本艦より、GF全艦艇に対し「ニイタカヤマノボレ一二〇八」発信
1942年(S17)
2/11 GF旗艦を「大和」へ委譲
5/29 ミッドウェー作戦支援の為、柱島出撃
6/6 作戦中止。「加賀」の生存者を駆逐艦より収容し反転
7/14 GF第1艦隊第2戦隊に編入
1943年(S18)
8/7 ソロモン作戦支援の為柱島出撃
8/23 トラック諸島到着
12/15 兄部勇次大佐、艦長として着任
1944年(S19)
2/25 GF第1艦隊第1戦隊所属となり、同戦隊旗艦に。宇垣纏中将着任
5/4 GF第1艦隊第1戦隊旗艦を「大和」へ委譲
6/19 マリアナ沖海戦。損害なし
10/22 ブルネイ出撃。栗田艦隊としてレイテへ進撃
10/25 サマール島沖海戦。敵艦へ初の主砲砲撃。駆逐艦1隻を大破させる
11/15 GF第1艦隊第3戦隊に編入
11/25 横須賀工廠入渠。修理と副砲の撤去を実施
1945年(S20)
1/1 GF第1艦隊第1戦隊に編入
2/10 横須賀鎮守府警備艦に
4/20 予備艦に
4/27 大塚幹大佐艦長に着任
6/1 特殊警備艦となる
7/18 米機の空襲で3発被弾。1発は羅針艦橋を直撃し、艦長、副長、砲術長戦死
8/15 終戦。日本戦艦で唯一、海軍では数少ない作戦行動可能な艦であった
9/15 除籍。米国へ引き渡し
1946年(S21)
7/1 ビキニ環礁にて水爆実験(空中爆発)の標的艦として使用される。無傷
7/25 再実験(水中爆発)。至近距離より被爆し、数時間後傾斜が生じる
7/29 深夜、人知れず沈没
1996年(H8)
沈没位置に朝日新聞の記者が潜水。現状が明らかになる。
2003年(H15)
8/26 TV東京「開運!なんでも鑑定団」にて、元乗組員の関係者により艦内時計が出品される。
この際、米軍への引き渡しの様子を映したカラーフィルムが放映される
時計には20万の値が付く
2005年(H17)
9/27 TV東京「開運!なんでも鑑定団」にて、米国より本艦の軍艦旗、少将旗、先任旗が出品される
それぞれ750万、150万、100万の値が付くも、品は再び米国へ
石坂浩二、島田紳介に共同での買取を持ちかける
2006年(H18)
9/23 約一年前にTV東京「開運!なんでも鑑定団」に出品された軍艦旗を、出演者の石坂浩二氏が自費で購入
呉の大和ミュージアムに寄贈し、この日お披露目された
2008年(H20)
5/31 TV朝日「空から見た地球。」にて、海底の「長門」が世界で初めてとなるハイビジョンによる撮影で取り上げられる。また、沈没の状態も紹介された。
困ったときには