三木鉄道のコミュニティです。
とうとう最後の日を迎えてしまいました。
このコミュニティを設立したときは、こんな日が訪れるとは
思ってもみませんでした。
いつまでも走り続けてくれると思っていたのに残念です。
懐かしい駅舎や、難しい読み方の駅たち。
かわいい車両。
みなさんありがとう。
ありがとう、三木鉄道。
このコミュニティは明日以降もこのままとしたいと思っています。
平成20年3月31日(月)
管理人
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さよなら三木鉄道 兵庫のローカル線、31日を最後に廃止
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さよなら三木鉄道 兵庫のローカル線、31日を最後に廃止
3月31日15時24分配信 産経新聞
最終運行をむかえる三木鉄道。最後の姿を記録しようと多くの鉄道ファンが訪れている =28日午後、兵庫県三木市・三木駅
ノコギリなど金物の全国有数の生産地として知られる兵庫県三木市の三木駅と加古川市の厄神駅間(約6・6キロ)を約13分で結ぶ第三セクターの三木鉄道が31日夜、92年の歴史に幕を下ろす。最後の雄姿を見ようと、沿線にはカメラを持った多くの鉄道ファンらが連日訪れている。「時代遅れ」と言われながらも地元の人々に愛されてきたローカル線の「廃線前夜」を追った。
・ 【写真で見る】廃線が決まった三木鉄道。名残を惜しむファンが訪れる
■人気急上昇
3月最後の土曜日となった29日、三木鉄道は普段の10倍ほどの約3300人の乗客でにぎわった。
三木駅のホームには「ありがとう三木鉄道」と書かれた特製のヘッドマークをつけた車両にカメラのフラッシュが光る。往復500円の記念切符は1日で400枚以上を売り上げた。
「もっと前からいっぱいの人が来れば廃止にならなかったのに」。沿線に住む小学3年、田村心愛(ここあ)ちゃん(9)は、訪れる鉄道ファンを前にそう漏らした。
■92年の歴史
三木鉄道は大正5年、山林から切り出した木材や山間部の人々を都市部へ運ぶため「播州鉄道」として一部が開通し翌年、全線が全通した。その後、国鉄へ移管されたが、貨物輸送の主役は鉄道からトラックへ。貨物営業は廃止され、昭和60年に国鉄からの経営分離で第三セクターの三木鉄道が発足した。
利用客減少の中、同社は新型車両を導入して新駅も建設したが抜本的な経営改善とならなず、平成18年の三木市長選で廃線を公約に掲げた藪本吉秀市長が当選。昨年10月、正式に廃線が決まった。4月1日からは、同市の補助を受けた神姫バス(姫路市)が線路に平行して代替バスを走らせる。
■鉄道マンの思い
「鉄道で働く夢をかなえてくれてありがとう」。大阪府寝屋川市の太田貴子さん(42)は三木鉄道唯一の女性運転士だった。
平成5年、「女性は採用できない」と一度は断られたが、何度も足を運んで入社にこぎ着け、ディーゼルカーの運転免許を取得。子供のころからのあこがれだった運転台に立つ夢をかなえた。
6年前に健康上の理由で退職するまで9年間、屈託のない笑顔で同僚や乗客に親しまれた。「よく乗ってくれたおばあちゃんはどうしてるのかなと、今もふと思う。レールや駅がなくなってしまうことに実感がわかない」と話した。
3台あるディーゼルカーは比較的新しいため、全国6社の三セクから購入希望があるという。「どこも新造の車両を買うのは難しい。どこかで走り続けてほしい」と三木鉄道鉄道部長の斎藤浩さん(68)。「事故なく無事に終えること。願いはそれだけです」と、けたたましい音を立てながらゆっくりと進むディーゼルカーを見つめた。
最終列車は厄神駅を31日午後10時半に出発。三木駅までのラストランを飾る。
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あのあやや松浦亜弥を産んだ兵庫県に位置し、加古川線の厄神から出て、名前がミキなら走るディーゼルカーもミキ形。なのにおそらくミキティー藤本美貴とは何も関係がない・・沿線には真ん中らへんにちなんだ駅もあります(^^;
そんな美貴鉄道、いやミキティ集う、もとい三木鉄道の社紋・ロゴを表示したい方、三木鉄道沿線の方、三木鉄道が大好きな方、第三セクター萌えな方など、どうぞお入り下さい(^^;
#って、ぜんぜんやる気ないな(^^;
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