DEF MIX PRODUCTION 第4の刺客!とか言われてますが、本当にDJが良い感じなので作りましたー(なんで今までなかったのか??)
ふるってご参加ください〜
笑顔がナイスなNYブルックリン出身のDJさんです。
あ、あと、アンケートも取っているので是非お答えください。
ヘクター・ロメロのプロフィール(公式サイトwww.hectorromero.comより抜粋&翻訳こんにゃく)
1983年夏、ブルックリン/NYではストリートジャムとして知られていたブロックパーティーが行われていた。
13歳だった少年はターンテーブルの前へ立ち、ラテンミュージック・ハウス・ヒップホップをプレイし始めた。
クラウドはすぐさま熱狂的に彼を迎え、ネイバー達はこの若いキッズを"Baby Hec" ロメロと呼ぶようになる。
彼の評判と年齢が上がる毎に、彼はラテン系ナイトクラブ”La Mirage"やストリートでもっともヒップなクラブ、"Devils Nest"にてプレイすることになる。それらのクラブは友人でもあるルイ・ベガがキャリアをスタートしたクラブでもある。
その後まもなく、"Baby Hec"ロメロ(この名前が正式に浸透するのには数年かかったが)はいくつかのNYの伝説的なクラブおよびスポット、"Save the Robots"や"The Red Zone"、"Palladium"、"Roxy"においてプレイすることとなる。
1994年にはJudy Weinsteinによりヘクター・ロメロはDef Mix Productionsにて雇用される事となり、Judy Weinstein及び彼女のパートナー、David Moralesにより発起されたDefinity Recordsをアシストすることになる。
ヘクター自身はリミックスやプロデュース業に興味は無かったが、DJとビジネスマンとして、2足のわらじを履くことはまったく問題がなかった。A&Rとして音楽を仕事とすることが、彼にとってもっても適した方法だったのである。
Westeinはビジネスマネージメントの全てを彼に教えていくこととなる。そしてその長いビジネス経験が、彼をDef Mix傘下のDefinity Recordsのレーベルマネージャーにまで押し上げたのである。
その後ロメロはビジネスの傍ら、NYCのFilter 14、モントリオールのStereo、ポルトガルのLocomiや世界中のクラブでプレイする事となる。まったく異なった音楽をミックスすることが彼自身の”音楽”となり、ヨーロッパ、カナダ、アメリカのクラブシーンにおいて彼の名声を高めて行く事となる。
自然な流れとして、最近の彼の活動はDef Mix傘下のSatoshi Tomiieのレーベル、SAW.RECORDINGSのパートナーとして活動を多く行う事となる。Weinstein(Satoshi Tomiieとのユニット創設者にして良き理解者)はDef Mixツアーを通してヘクターのDJとして地位を押し上げる手助けをする。ロメロのビジネスマンとしての考えでは、Satoshi Tomiieとの夢のコンビはその成功を約束されたものであった。
また、SAW.RECORDINGSの建設的な面の一つとして、ヘクターのレーベルマネージャーとしての経験手腕や、A&Rとしての交渉面がある。
DJとしては、ヘクター・ロメロは引き続き毎週末にはプレイを行ない、そして他のDef Mixのメンバーと2002年春から秋にかけてワールドツアーを行う事となる。
(2002年)
プロデュースが無いせいか、日本での知名度はあまり無いようで、グーグルで日本語検索してもあんまりヒットしないですね(悲)
でもこれから間違いなく今後”クル”DJなので、是非彼を応援して行きましょう!
彼のブッキングされているパーティーに行けば、間違いなくアゲてくれる事請け合いです!
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Coming Soon(2012.05.12現在)
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