SERGINHO セルジーニョ
MILAN MF
BRAZIL
ウインガーとして、あるいはやや下がり目のポジションでも起用できる才能豊かな選手。FKからのゴールも多く、名手として名高いブラジル代表のロベルト・カルロスをもしのぐほどだ。
ウイングタイプの選手が他にいないミランにおいて、途中投入によって流れを変えることができる貴重な選手。最近はサイドバックでも起用され、DFラインから駆け上がるオーバーラップも魅力。
代表チーム
ブラジル代表での初キャップは1998年。27歳の遅いデビューだった。その後は1999年の南米選手権優勝に貢献し、同年のFIFAコンフェデレーションズカップでも準優勝を経験。2002FIFAワールドカップ南米予選には出場したが、本大会には招集されなかった。
クラブチーム
FCイタペルナ、ECビトーリア・ダ・バイーア、CRフラメンゴ、クルゼイロECと渡り歩き、1996年にサンパウロFCへ加入。3年間でリーグ戦の約60試合に出場すると、その後北イタリアへ渡り、940万ユーロ(現在の換算額で約13億1,600万円)でACミランへ移籍した。
1999: ミランで実力を発揮し始めたのは、チェザーレ・マルディーニ氏が暫定監督を務めた2000-01シーズンの後半から。左ウイングのスペシャリストとして起用され、守備の負担から解放された後に才能を開花させた。好調を維持した2001-02には、UEFAカップで準決勝進出に貢献。翌年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝では終盤の切り札として投入され、ユベントスを倒したPK戦で自らのキックを成功させた。ミランは直後のコッパ・イタリアでも優勝を飾っている。2003-04には足首とじん帯を痛めたが、セリエAで20試合に出場し、再びミランの優勝に貢献した。
2004/05: レギュラーではなかったが、2004-05のセリエAでも22試合出場5得点を記録した。チャンピオンズリーグでは、リバプールFCとの決勝で後半から途中出場。しかし、1番手を務めたPK戦で失敗してしまい、ミランを頂点に導くことはできなかった。2005年1月には、ミランと2007年までの新契約に合意している。
豆知識
サイドを切り裂くスピードで、「コンコルド」の愛称を授かっている。
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