初めて天才と呼ばれた男がいた。
常識を覆す騎乗ぶりを人はマジックと呼んだ。
そう、その男が乗ると不思議と馬は走った。
予想屋は言った。「わからんかったら洋一や洋一をこうといたら間違いない。」
福永祐一騎手の父である伝説の天才ジョッキー、福永洋一氏のコミュです。
自分は現役時代は知らないのですが、優駿などの特集でそのすごさを知りました。
現役時代知っている人から実際のお話を聞いてみたいです。
生年月日 昭和23年12月18日
出身地 高知県
所属厩舎 武田文吾厩舎
初騎乗 昭和43年3月2日
初騎乗馬 シュクホウ
初重賞制覇 昭和45年3月1日 京都4歳特別
初G1制覇 昭和46年11月14日 菊花賞
同期生 岡部幸雄・柴田政人・伊藤正徳他
※1970年から1978年まで9年連続JRAのリーディングジョッキーとなり、「天才」という名をほしいままにした。さらに1977年には、それまで野平祐二がもっていた年間最多勝記録を19年ぶりに塗り替える126勝を記録する。翌1978年には131勝まで伸ばす。
※ちなみに131勝した1978年の数字はものすごく、
勝率0.260
連対率0.425
掲示板入着率0.705
と驚異的。
※1979年3月4日の毎日杯でマリージョーイに騎乗し落馬、脊髄損傷を負い引退を余儀なくされた。一時期は植物状態にまでなってしまったが、懸命のリハビリにより植物状態は脱した。
※生涯成績5086戦983勝。
勝率0.193 連対率0.345
2004年騎手顕彰者。
※主な大レース勝鞍
ニホンピロムーテー(1971年菊花賞)
ヤマニンウエーブ(1972年天皇賞(秋))
エリモジョージ(1976年天皇賞(春)、1978年宝塚記念)
ハードバージ(1977年皐月賞)
インターグロリア(1977年桜花賞、エリザベス女王杯)
オヤマテスコ(1978年桜花賞)
姉妹(息子)コミュニティ
福永祐一 (管理人 犬村初一郎紀礼様)
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