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アンティオキア学派

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詳細 2023年10月30日 14:24更新

シリア地方の町アンティオキアを中心に展開された,3世紀後半〜5世紀前半の神学の伝統で,アレクサンドリア学派のロゴス・キリスト論に対立するキリスト論を持った。サモサタのパウロスに始まり,ルキアノスとその弟子アリウス,テオドロス,クリュソストモス,アポリナリウスなどが有名で,最後にネストリウスが出た。この学派にはアリストテレスの影響があり,聖書の文法的・歴史的研究を重んじ,比喩的解釈ではなく予型論的解釈でもって聖書の救済史的統一を示した点がすぐれている。

初期キリスト教の伝道の聖地。



アンティオキア派とアレクサンドリア派
テオドレトスが主教を務めたキュロスは、政治的にも文化的にもシリア地方の中心たる大都市アンティオキアにほど近く、彼の神学思想もアンティオキアの伝統をくむものとなった。アンティオキア派(Antiochene School)と一般に言われるこの伝統は、古代末期のいくつかの論争において独自の見解を持っていた。まず聖書解釈において、聖書そのものの背景にある歴史的文脈を明らかにすることや、語句や字義を詳らかにすることを重視した。また当時のキリスト教徒はほとんど全員がヘブライ語の旧約聖書ではなくギリシア語訳(七十人訳聖書)を用いていたが、これに縛られずアクィラやシュンマコス、テオドティオンといった非キリスト教徒による別のギリシア語訳を積極的に用いたこともアンティオキア派の特徴である。またアンティオキア派の歴史あるいは字義を重視する解釈は、オリゲネスらにみられる聖書の句を比喩的にとらえて他の意味内容(例えばキリスト、教会、新約聖書等)を指し示すと解釈する方法と対照的であった。またキリスト論においてはイエス・キリストが受肉して受け取り、それに打ち勝ち、救いに導いたところの人間としての性質(人性)を強調し、キリストの神なる御言葉としての性質(神性)を強調するアレクサンドリア派と対立した。

キリスト論論争――エフェソス公会議からカルケドン公会議まで
テオドレトスと同じくアンティオキア派の流れをくむネストリオスは428年にコンスタンティノポリス主教に就任し、イエスは人間としてマリアから生まれ、神としては世界の初めから存在していたのだから、マリアに帰せられたテオトコス(神の母)という呼称は不適切である、と説いた。さてこの「テオトコス」称号を尊重していたエジプトの人々はこれに猛反発し、エジプトの大都市アレクサンドリアの主教キュリロスはネストリオスに反論した。その結果ネストリオスは431年エフェソス公会議(第三全地公会)で異端宣告されることになった。これが上述のキリスト論論争である。テオドレトスはこの論争において、アンティオキア派としてネストリオスの擁護に回り、その神学を代表するものの一人としてキュリロスと互いに反駁を交わしあった。430年代中盤からキュリロスとその一派がネストリオス主義の祖としてタルソスのディオドロスやモプスエスティアのテオドロスを弾劾し始めると、アンティオキア派の先人である彼らを擁護する論陣を張った。またこの間多数の聖書註解や、『敬神者列伝』等いくつかの著作を著している。

また444年にキュリロスが亡くなった後も彼の説を先鋭化させたディオスコロス、エウテュケスらといったアレクサンドリア派による主張に反論し続けた。そのためディオスコロスが皇帝テオドシウス2世にはたらきかけて主導したエフェソス強盗会議では、テオドレトスはキュロスの主教区から出ることを禁じられた。この頃『教会史』を執筆する。しかし451年のカルケドン公会議(第四全地公会)では結局、ディオスコロスやエウテュケスは単性論として異端宣告された。なおテオドレトスはネストリオス説の問題点を認識していたし、カルケドン公会議で正統信仰を認められたが、最後までネストリオスに対する異端宣告に反対していた(最終的には同意した)。カルケドン信条は今のローマ・カトリック教会、プロテスタントのいくつかの宗派、および正教会で根幹的なドグマとみなされているが、そのうちに含まれているキリスト論にはテオドレトスの神学思想が貢献した部分があることが知られている。

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参加メンバー 2人
開設日
2023年10月30日

209日間運営

カテゴリ
学問、研究
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