mixiで趣味の話をしよう

mixiコミュニティには270万を超える趣味コミュニティがあるよ
ログインもしくは登録をして同じ趣味の人と出会おう♪

歯舞群島貝殻島

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
詳細 2023年6月19日 22:22更新

名称は、アイヌ語の「カイ・カ・ラ・イ(波の・上面・低い・もの(岩礁))」に由来する[2]。ロシア語地名は、シグナリヌイ島(Остров Сигнальный、灯台島の意)。

地理
編集
納沙布岬と水晶島を隔てる海峡、珸瑤瑁水道のほぼ中間地点にあり、納沙布岬からの距離は3.7キロメートルである。硬い礫岩、火成岩で構成され、貝殻島灯台が設置されている。

1937年(昭和12年)に日本により建設され、点灯した貝殻島灯台がある[3][4]。貝殻島灯台は灯台基部と共に基礎部分の劣化が進み、傾いた姿が納沙布岬から目視で確認できる。1957年(昭和32年)よりソビエト連邦(現:ロシア)が実効支配しているため日本の当局による保守・点検ができない。現在に至るまでロシア側が管理を行っているが、電池切れが原因とみられる長期の消灯を40回以上繰り返している。2020年11月現在は、2014年11月4日から消灯状態となっている[4]。

2017年9月7日に行われた日ロ首脳会談では、貝殻島灯台の改修事業を検討することが合意された。

1945年(昭和20年)9月27日、マッカーサー・ラインが設定され、日本漁民が自由に出漁できる範囲とできない範囲とが分離された。北方周辺海域では、ラインは納沙布岬と水晶島の中間に引かれたため、貝殻島周辺は日本の海域となる[8]。
1948年(昭和23年)12月、GHQは駆逐艦「コワゾール」で再調査した結果として、マッカーサー・ラインを納沙布岬と貝殻島の中間に引きなおす[8]。この結果、貝殻島周辺はソ連の海域となり、漁民は危険を覚悟で操業を続けたため拿捕が相次いだ。マッカーサー・ラインは講和条約発効3日前に廃止されたが、中間ラインという事実上の国境として残された。
1956年(昭和31年)、日ソ共同宣言。
1957年(昭和32年)、ソ連国境警備隊が上陸する。旧日米安保条約は現行安保条約と異なり、日本を防衛する義務をアメリカに課しておらず、米軍は出動しなかった。
1963年(昭和38年)、日ソ(日ロ)貝殻島昆布採取協定が結ばれる[8]。以降ソ連(現在はロシア連邦)に入漁料を支払ってコンブ漁を続けている[9][10]。
1991年(平成3年)、ソビエト連邦の崩壊後に成立したロシア連邦が実効支配を継承。
現在もロシア連邦が占領・実効支配しているが、日本も領有権を主張している。

納沙布岬にある望郷の家に設置された望遠鏡からは貝殻島灯台を見ることができ、肉眼でも小さい棒のように飛び出した貝殻島灯台を見ることもできる。毎年11月1日から4月30日まで、地元歯舞漁業協同組合では「北方領土を間近に望む本土最東端パノラマ・クルーズ」を行っており、納沙布岬・貝殻島灯台中間点から貝殻島を間近に見ることもできる。

コミュニティにつぶやきを投稿

loading

参加メンバー 2人
開設日
2023年6月19日

346日間運営

カテゴリ
地域
関連ワード
関連ワードを登録しよう

編集から関連ワードを登録すると、コミュニティがmixiワードに表示されるようになります!