脳の「存在条件判断」とは何か。
すべての人は、専制君主(暴君)に蹂躙される危険性(リスク)を
二つの局面でもっている。
ただし、この専制君主というのは制度上の呼称として使用している
のではなく、あくまで喩えである。
「自己に集中した権力を他を省みず行使する」というぐらいの意味
で考えてもらえばいいと思う。
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まず、そのひとつは社会的局面であり、ヒトラーのような独裁者に
代表される「暴政によって人民を蹂躙、虐殺する者」が出現する
リスクである。
このリスクを回避するために、人間は「科学的理性」による民主化
の重要性に気付き、それを実行することとなった。
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人々は、たった一人の判断が間違いやすい(狂いやすい)ことを
発見し、多数の判断によって物事を解決する手段(民主的方法)
を開発したのである。
ただし、この事態は、「社会的存在である暴君」によってもたらさ
れた悲劇的現象を二度と繰り返さないために、というよりも、むし
ろ「科学的理性」が訴えかける抵抗としてそうなったということに
注意しなければならない。
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なぜなら、社会的民主化が「科学的理性」によっていくら進んでも
命が蹂躙される悲劇的現象がなくなる気配は依然として無いからだ。
つまり、「脳」のはたらきである(に過ぎない)「科学的理性」には
悲劇を回避しようとする命令系統は存在しない、ということである。
・・・・・これは、なぜなのだろうか?
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ここで、専制君主(暴君)に蹂躙される二つ目の危険性(リスク)
を説明しなければならない。
なぜなら、それこそが、人間のみならず他の動物たちも含めた命を
いまだに蹂躙し続ける元凶となっているからだ。
この元凶こそが、脳の「存在条件判断」ということなのである。
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これは、社会ではなく、人間個人の中に生じる「暴君化」のことを
指している。
われわれすべての人間は、この脳の暴君化によって、あるとんでも
ない価値判断を、人類史がはじまってから現在に至るまで無自覚に
行ってきたのだ。
社会から暴君を追い出した人間の「脳」は、今度は人間それ自体の
中で暴君化してしまったのである。
その脳の「存在条件判断」とは、端的に言えばこういうことである。
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「〜〜ができない者には存在価値がない」
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多くの人は、このことに多かれ少なかれ身に覚えがあるのではないだ
ろうか?
かく言う自分にも心当たりがある。
この「存在条件判断」という脳の異常なはたらきがもたらす、きわめ
て深刻な弊害のひとつに、次のような事態がある。
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真実を覆い隠そうとすること。
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たとえば、原発事故の死者数の過少計上、あるいはコロナワクチン
による様々なデメリットを隠蔽ないし過小評価しようとするような
ことにこの脳のはたらきが関与しているものと推定されるのである。
それらの具体的な事情については後述することにしよう。