『満州の星くずと散った子供たちの遺書
―新京敷島地区難民収容所の孤児たち』
※コミュニティ名に「全角15文字以内」の制限があるため、
本のタイトルを一部省略しています。
※背景画:満州開拓団・鳳凰村の記念写真
(満州国北安省徳都県南和村・現在の黒竜江省)
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子ども向けの児童図書ですが、あまりにも衝撃的な内容で、読み始めると流れ出す涙と共に止まらず、一気に読んでしまいました。
最期まで他者を思いやり、勇気を持ち、心優しく崇高な子ども達の存在を知ってもらうため、唯一人生き残り帰還された、増田昭一さんの記録を多くの人に知ってもらいたいと思います。
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ブログ収録「ともちゃんの おへそは お母さんの顔」
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増田昭一氏略歴
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終戦直前、満州でソ連軍に追われ、親が死んで孤児になった子ども達は、マイナス20〜30℃にもなる新京の収容所で、夏服のまま、死んでいきました。しかし、その孤児達は死ぬまで支え合っていました。
収容所生活の中で子どもたちが作った「約束」を紹介します。
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愛情と思いやり、やさしさと分かち合いがあった。苦しみの中で生きるとは何かを考え始めた。ぼくたちの死に様が、人々に感動を与えるように死にたい。だれよりも美しく死にたい。その中で、次のように話し合った。
1.死があるから、生きている意味がある。みなに役に立つことをしてから死のう。
2.死を意識してはいけない。
3.身の回りの始末をしよう。
4.あなたが死ぬ前に使えるものがあれば、だれかにあげなさい。
5.死は怖くない。みんなのところへ行けるから。父ちゃん、母ちゃんに会えるから。
6.死が近づいたら、できるだけ、死体置き場の近くに行って、できるだけみなに迷惑をかけないようにしよう。
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・・死にかけた友達に、靴下と引き替えにラーメンを買ってきて食べさせた子。それに感謝して、自分の服と毛布をたたんで麻袋しか着ていないその子の枕元に起き、極寒の中、裸で死んでいった子。
・・自分のおへそはお母さんのお顔です、と死んだ母親に教えられ、冬が来て飢えと寒さで死んでしまうまで、お墓の前で毎日おへそを見ていた3才の幼い子。
・・ある小さな女の子は、極寒の中、ずっと外にいました。何をしているのかと思ったら、お母さんが死ぬ前に「勉強しなさい」と言った事を守ろうと、焼却炉の横でずっと教科書を読んでいたのです。
・・ある男の子は、収容所の窓の隙間から入る寒気を防ぐため、自分の毛布や着ている物を切っては隙間に挟み、横たわっている子どもたちを守りました。衣服は次第になくなり、死期を悟った男の子は遺体置き場の近くに行き、防寒のために新聞紙でくるんだ体を丸めて亡くなったそうです。
この話を絶対に伝えなければならない、という生き残った筆者の強い思いが伝わってきます。読んでいて、どうしようもなく悲しい、けれど、親を想い、友達を助け、儚く死んでいったその美しさは永遠ではないでしょうか。
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