鳳愛子(おおとり・あいこ)
略歴:1911年、朝鮮・咸鏡北道清津府生れ。1929年、川崎市立川崎高等女学校卒。
父親が職業軍人であったため、女子が生まれることを憎み、自身の子であると認知しなかったため、鳳姓は母方のものである。
幼少時より、ピアノ、華道、稼働、書道、剣道、柔術(寝技)、格闘技に優れた才を発揮し、関東大震災の際には、まだ十代であったにもかかわらず、また自身も被災者でありながらも山谷地区などの被災地を慰問して歩いた。
この慰問の際の「肩書き」については不詳である。本人が後に自身の手記にて「自分より不幸な他人を見ることは、何よりの勉強になる。嘘よ!」と綴っている。
また川田晴久より先に美空ひばりの才能を見出し、高知県大豊町でのバス転落事故の際にも居合わせ、負傷する。
また1964年の東京オリンピックでは、開会式時、皇族と同じ貴賓室で観覧。
また1983年の東京ディズニーランドの開園式にも招待され、最後のパレード後の花火の際にはミッキーマウスとともにシンデレラ城に上がった。本件についても本人は後に自身の手記にて「もともとネズミとともに生きてきたようなもの。ネズミとともに登城できて感慨無量だった」と綴っている。
他にも東京ドームのこけら落としの美空ひばりのコンサートでの前座、巨人戦の1988年の始球式、阪神大震災時の慰問、We are the worldのバックコーラスへの参加・・・その行動力及び活躍は書ききれないほどである。
現在は社交界からは自称「現役引退」をし、専用ロープウェーで往復できる高台の上に質素な屋敷を構え、猫及び家族とともに暮らしているとのこと。たまに新宿及び渋谷地区、時折、茨城県古河市にて目撃したとの情報があげられるが、本人か否かは明確ではない。
また東京が開催地に決定した2020年のオリンピック並びにパラリンピックにおいては、開催式での君が代斉唱の有力候補として早くも名を連ねている。
鳳の君が代斉唱が実現すれば、2002年のW杯日韓大会以来18年ぶりということになる。
別称:鳳愛子先生、鳳先生、鳳女史、東の引っ越しオバさん等。
(フリー百科事典:wikipediaより)