(TOKYO NO.1 SOUL SET/GALARUDE/InK/DUBMOSPHERE)
インダストリアルなハンマービートにロックを感じ、2−TONEやファンカラティーナからルーツをたどり、或いはHIPHOPでソウルやジャズのパズルを解きつつ、MUTEやON-Uレーベルにも通じる市街地型戦闘サウンドとしての攻撃性の高さを認識する。そしてどのフィ−ルドにも収まらず少しづつ王道から外れて行く姿勢。
TOKYO NO.1 SOUL SETで聴かれる彼のトラックはサンプリング&ループというHIPHOPのフォーマットをトランスレートしつつもアルティメット・ブレイクス&ビーツな、つまりマス・イメージなHIPHOP的トラックとはおよそかけはなれたものであった、そこには思想的背景や状況を持たぬ日本のレベルミュージックが持つ哀愁や葛藤、虚無感と共にどうしようもなく音楽に屈折していった者の二ヒリステックな生きざまが、何の疑問もなくあっけらかんと提示されていた。
これは本能である。川辺自身も現在の中毒性の高い反復リズムやストイックなエレクトロさとダビーな音響効果を駆使したDJ、トラックメイキングスタイルになぜシフトチェンジしていったのかは説明することは出来ないだろう。
アフターパンク、ニューウェーブ期に行われた音楽の解体〜再構築をリアルに体験した彼の世代には、ギターを持つことだけがロックではないし、シーケンサーを走らすことがだけがテクノやHIPHOPでない、ということが、もう、当然のように本能として備わっているのだ。
多くの同世代のDJ、ミュージジャンがその極めて曖昧な感覚に消化不良を起こし、定型化したフォーマットに助けを求めて行くなかで、川辺は実に正直にその感覚と対峙し続けている。それは尋常なことではないが、15年かけて変化して来た(そしてこれからも変わり続ける)そのサウンドは、川辺自身にとってはレコードバックに入れるほんの数十枚が入れ替わった程度のことなのだろう。
そこに決して饒舌とはいえないこの男の最も重要なキーワードがあるのだ。