いま、世間一般の「文系」諸学(人文社会系の科学)に対する視線はきわめて厳しいものがあります。「文系」の危機といってもいいでしょう。
「文系なんか何の役にも立たない」
「文系の研究なんて金の無駄だ」
「文系の学生は遊んでばかりで馬鹿しかいない」
「所詮、日本の文系学問は西洋の猿まねじゃないか」等々。
この種の言説は、たとえばネット上でも至る所で見ることができますよね。
なにゆえ、「文系」はこのように軽んじられるようになってしまったのでしょうか?
たしかに、この現代社会の中で一見華々しく活躍しているのは自然科学と、それに密接に結びついたテクノロジーです。自然科学の成果は、はっきりと目に見える形であらわれ、私たちの身の回りに満ち溢れています。
しかし一方で、人文社会系の諸学の成果は、社会を動かすシステムや、人と人との関係性、あるいは個々人の思想・観念など、社会の中の目に見えないが、しかしながら根源的な次元での実用へと還元されているのです。「文系」諸学もまた自然科学と並んで、まさしく現代社会を支る不可欠の両輪をなしているといってもよいはずです。
ところがどういうわけか、そのことはあまり理解されていません。
たとえば教育現場でも、「理科離れ」は大々的に問題視されますが、「歴史離れ」に代表されるような「文系離れ」はあまり注目されることはありません。
その理由には、もちろんマスメディアが作り出したイメージや、それによる世間一般の「文系」に対する偏見というのもあるでしょう。しかしそれにもまして、ほかならぬ「文系人」自身が、「文系」という枠組みの持つ意味や意義というものを提示し、議論し、そしてそれを「外」に向けて説明するという営みを怠ってきた面もまた疑いなく存在するように思えます。
現在、学問の世界では学際化の動きが活発に進行しつつあります。そうした中では、一見すると「文系」という枠組みの設定はもはや時代遅れで、無意味なものに見えるかもしれません。しかしそういう時代だからこそあえて、拡散してゆく個々の学問を一つ上の次元から包括し、一種の「拠り所」となりうるような枠組みとして、「文系」という枠組みを選択し、その意義を考えてゆくことが重要になってくるのではないでしょうか。
大学受験上の(しばしばレッテルとして数学不得意者を指す)単なる便宜的な区分の枠組みから、世界全体への見方を包括する総合的な知の枠組みへ。
「文系」という概念のパラダイムシフトを目指して、議論を尽くしましょう!