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牛島辰熊

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詳細 2024年1月21日 11:45更新

牛島 辰熊(うしじま たつくま、1904年3月10日 - 1985年5月26日)
熊本県出身。

その圧倒的な強さと気の荒さから「鬼の牛島」と称された。
史上最強を謳われる木村政彦の師匠として有名だが、牛島自身も木村に負けぬ実績を持つ強豪中の強豪である。

その柔道の荒々しさ、性格の豪放さは語り草で、「鬼の牛島」「不敗の牛島」と謳われ、対戦相手からは「猛虎」と恐れられた[4]。鷲のような眼光鋭い目は、睨まれるだけで射すくめられたという。

朝は60kgあるローラーを牽きながら走り込み、深夜になると裸で大石を抱え上げて筋肉を鍛えた。さらに茶の葉を噛んで自身を奮い立たせ、大木に体当たりを繰り返した。そして仕上げはその大木に帯を縛り付けて背負い投げ千本の打ち込みをした。

あちこちに出稽古に回り、1日最低でも40本の乱取りをこなした。稽古後は消耗して階段も昇れず、食事は粥しか喉を通らない。朝起きると手の指が固く縮こまって開かず、湯につけて暖めながら少しずつ伸ばすほどの凄まじい稽古量をこなしていく。

試合前夜にはスッポンの血を飲み、当日はマムシの粉を口に含んで試合場に上がる。開始の合図と同時に突進して相手に躍りかかった。そして徹頭徹尾、攻めて攻めて攻め続ける。攻撃精神こそが牛島柔道の、鬼の柔道の信条であった。これは愛弟子の木村政彦にもそのまま受け継がれている。

1934年の皇太子生誕記念天覧試合では試合前から肝吸虫に体を冒され、体重が9kgも減って歩くことすらままならない状態だったが、精神力でカバーするために洞窟に籠もって1カ月間そこで坐禅し、宮本武蔵の『五輪書』を朗唱して試合に備えた。体が動かぬのを精神で補おうという壮絶な決意であった。結局牛島は敗れてしまったが、この病気さえなければ間違いなく優勝は彼だったと言われている。


なかったので作ってみました。今はwikiのコピーですが・・・。

今後しっかりとした説明に直していきたいと思います。

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