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駿河国総社 静岡浅間神社

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詳細 2018年10月14日 14:19更新

静岡浅間神社にご縁のある人のご参加お待ちしております。

命名 お宮参り 氏子 崇敬者 参拝したことある人 道場 廿日会祭 雅楽

お囃子 木遣り 神輿 お踟 彫刻 稚児舞楽 雅楽 せんげん塾 緑陰教室 

など。


以下御由緒からの転載です。

神部神社・浅間神社(二社同殿)及び大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社(通称おせんげんさま)と申し上げる。神部神社は約2100年前に鎮座され駿河の国魂の大神として、浅間神社は約1100年前に富士新宮として、大歳御祖神社は1700年前に安倍の市の守護神として創祀され、駿河国総社・静岡の総氏神さまと崇敬され、駿河の大社として広く信仰されている。

当社は延喜式内社として朝廷・国司の尊崇を寄せられたのをはじめ、鎌倉時代以降、歴代幕府など武門武将の崇敬を受け、社領の安堵・宝物の寄進など枚挙にいとまがない。特に今川家は氏神として庇護し、今川義元公が烏帽子親となって家康公(幼名竹千代)は当社で元服式を行った。以降徳川氏のあつい尊崇を受けて、寛永・文化年間両度の大造営が行われ、徳川幕府の祈願所となった。貝原益軒の記した『吾妻路之記』に「当宮作り美麗なる大社」「神社の美麗なる事、日光を第一とし、浅間を第二とす」とあり古くより東海の日光と呼ばれている。
 文化元年(1804年)から60年余の歳月と、当時の金額で10万両の巨費を投じて建築されたのが現在の社殿群である。社殿の造営にあたって諏訪の立川和四郎をはじめ全国各地より職人が集められ、明治以降駿府に定住した者も多く、木工・模型・漆器などの静岡市の特産工業へと発展した。
 御本社神部神社・浅間神社・大歳御祖神社のほかに境内には、麓山神社・八千戈神社・少彦名神社・玉鉾神社の四境内社が鎮座している。
 境内は4万5千平方メートル。広壮華麗な社殿群はいずれも漆塗りの極彩色で、特に楼閣造りの大拝殿は浅間造りの代表的なもので高さ25メートルあり、殿内は132畳敷きの広さがある。
 昭和46年6月社殿24棟が、平成11年2月、宝蔵・神廐舎が国の重要文化財に指定された。まさに“東海の日光”と呼ばれるにふさわしい佇まいである。
 能楽の始祖「観阿弥」は今川家に招かれ当社の大前に能を奉納し、その後当地において没した。観阿弥最後の舞台として知られている。また、当社は海外雄飛で有名な山田長政公の産土神でもある。


☆御本社☆

神部神社(かんべじんじゃ)は、駿河国開拓の祖神大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る。崇神天皇の時代(約2100年前)の鎮座と伝えられる。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされた。

浅間神社(あさまじんじゃ)は、木之花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を祀る。浅間神社の1つ。延喜元年(901年)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より総社神部神社の隣に勧請され、以来冨士新宮として崇敬されてきた。

大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)は、古くは奈古屋神社と称され、大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)を祭神とする。応神天皇の時代(約1700年前)の鎮座と伝えられ、元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神であった。祭神の大歳御祖命は倉稲魂神・大年神の母神で、別名神大市比売命のことである。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。

三社は鎮座以来独立の神社として扱われ、江戸時代まではそれぞれ別の社家が奉仕してきた。明治21年、三社別々に国幣小社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社となった。


☆境内社☆

麓山神社(はやまじんじゃ)は、大山祇命を主神とし、日本武尊を配祀する。由緒は不詳ながら古来より賎機山山上に鎮座し、俗に山宮と称する。浅間神社の祭神・木之花咲耶姫命の父神を祀るので、その別宮とされ、従来四本社の一つに列し独立の神社であったが、明治12年7月22日郷社に列し、境内社となった。社殿は本殿・拝殿・唐門・透塀を備え、他の三本社と同規模の壮麗な建築で、細部に立川流の彫刻を置き、漆塗り極彩色を施す。

八千戈神社(やちほこじんじゃ)は、八千戈命(大国主命)を祀り、相殿に明治6年以降合祭された十八社十三柱の神々(浅間神社末社九社・大歳社末社三社・麓山神社末社三社・旧安倍郡城内鎮座稲荷神社・旧安倍郡明屋敷村鎮座国分天神、騎射御霊)を祀る。当社は徳川家康の念持仏であった摩利支天像を安置するために造営されたもので、摩利支天社と称し、徳川家をはじめ幕府が殊に崇敬を尽くし、社殿も本社に次いで造営され壮麗なものである。明治初年の神仏分離に際して、摩利支天は葵区大岩の臨済寺(今川家菩提寺)に遷され、八千戈神社となった。昭和5年5月29日の昭和天皇親拝の折は、両社修繕中であり当社を仮殿としていたため、当社に参拝された。

少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は、少彦名命を主神とし、神部神社末社十四社の神々を相殿に祀る。当社はもと神宮寺薬師社と称し、薬師如来・十二神将を安置していたが、明治維新に際して臨済寺に遷され少彦名神社となった。古来医薬の神として薬業関係者や病気平癒を祈る人々の参詣が絶えない。

玉鉾神社(たまほこじんじゃ)は、明治9年3月、静岡県内の神職が官許を得て創祀された神社で、国学の四大人たる羽倉東麿・岡部真淵・本居宣長・平田篤胤の四柱を祀る。

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