アルバート・フィッシュ
1910年から1934年の間に400人を殺害したと自供。
被害者は主に貧しい少年・少女であった。
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1870年、ワシントンD.C.生まれ。
5歳のとき父が死亡。孤児院に預けられ幼少期を送る。
15歳のとき塗装工の見習いとなり、その後28歳で結婚。6人の子供を設けるも、1917年に妻が愛人と駆け落ちし結婚生活は破綻。
この頃から、『贖罪』の名の下にフィッシュは自傷行為を始める。後にフィッシュはこう語っている。
「いつも誰かに苦痛を与えたかったし、また苦痛を与えられたかった」
1934年、グレース・バッド殺害の容疑で逮捕。
400人という数は誇張だと思われるが、少なくとも15人以上は殺害していたという見解が強い。また「限りなく疑わしい」事件が多数存在しているのも事実である。
しかし、フィッシュの犯行だと確定できた事件は上記のグレース・バッド殺害を含め3件に留まる。
犯行が満月の日に行われたことから『満月の狂人(Moon Maniac)』と呼ばれた。
犯行を重ねていたとされる25年間、フィッシュは軽犯罪を除き罪に問われたことは一度もない。傍目には穏やかで敬虔な初老の紳士として振る舞っていた。
彼を逮捕した刑事が「まるで『無害』という言葉が服を着て座っているようだった」と踏み込んだときの印象を後に語っていることからも、彼が世間にどのような印象を与えていたのかを知ることが出来る。
しかしその一方で、フィッシュは殺人を繰り返し、狂気を肥大させ続けた。被害者の遺体はソテーしたりシチューにして食べていた。
身長150cm、体重58kg。
1936年、電気椅子により処刑。
「なんでまた私は、こんなところにいるのかねぇ」
というのが、フィッシュ最期の言葉であったという。