大河ドラマ江
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父・長政と死別した江たち三姉妹と市は、信長の意向なのか、市の希望なのかわかりませんが、しばらくののち、伊勢上野城の城主、織田信包のもとに預けられたと考えられています。
さて、この信包という人物、残念ながらあまり広く知られていません。そこで今回は、織田信包について少しご紹介します。
織田信包は、信長の弟のひとりです。信秀の四男で天文12年(1543)の生まれといわれており、信長より9歳下で、市よりは4歳ほど上。母親は不明ですが、信秀の正室で信長の母でもある土田御前を自分の居城に迎えて面倒を見ているので、信包も信長と同じく土田御前の子だった可能性もあります。
.信長は伊勢侵攻の際に、次男・信雄を北畠家、三男・信孝を神戸(かんべ)家の養子に押し込み、支配下に取り込んでいますが、信包も同様に力で制圧できなかった長野家の養子となり、一時は長野信包と名乗っていました。
そんな信包が治める伊勢上野城に江たち三姉妹と市が入ったのは、おそらく伊勢長嶋一向一揆(1570〜74年)が平定され、伊勢の安全が確保された後だと考えられます。そこで江たちがどのような生活をしていたのかはわかっていませんが、平穏な日々を送っていたのではないでしょうか。
.ちなみに信包は、天正8年(1580)に居城を伊勢上野城から9kmほど南の安濃津城(津城)に移しているので、江たち三姉妹と市もそれに従い、生活の基盤を移したと思われます。
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