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フナの解剖か、カエルの解剖か。
その選択が人生を左右するようなことはほとんどない。
きっと、ない。
人生は選択肢の連続で成り立っているのだと、
どこかの大人がうそぶいている。
もし、本当にそうなのだとしたら、
僕らの人生はあみだくじか、と
僕は缶けりの鬼をしながら、
中途半端に欠けた月に向かって叫び続ける。
叫び続けてやる。
ロックだとかアートだとか、
アヴァンギャルドだとかシュールレアリズムだとか、
そんなものはきっと僕らの普段の生活にいくらでも落っこちていて、
それを拾ってみるかどうかの違いで、
その人の生活も変わってくるのだと思う。
色んなことに、気がつくかどうか。
EIJIは、自分のまわりにあるものをしっかりと見据える。
病に臥した正岡子規が、
その床から見える自宅の庭だけを見据えていくつもの名句を生み出したように、
EIJIは自分の日常をしっかりと吟味する。
EIJIにとっては、
きっと解剖するのがフナなのかカエルなのかさえ大問題なはずだ。
オークワかプライスカットか。
イオンなのかマックス・ヴァリューなのか。
トップヴァリューってやつはこれまたカテゴリーが違うのか?
EIJIは見る。EIJIは知る。
そして、EIJIははにかむ。にやっと。
そんなことを、EIJIは歌う。
あなたがEIJIを見て感じることは、
きっとあなた自身なのだ。
赤裸々なままの、無防備でむきだしのあなた自身なのだ。
だから、たまにとっても恥ずかしい。
少し、笑ってしまう。にこっと。
そして思う。EIJIの歌を。自分自身を。
それが、EIJIなのだ。
ー堀端致良(介護施設職員)ー