このコミュニティの名前にある「安い言葉」というワードは、「他人から借りてきただけの、思考も内実を伴わない言葉」を意味します。
「自殺はいけない」
「人の命は何よりも貴い」
「自然環境は大事にしなければならない」
「自分一人を大切にできない人間が、他の誰かを大切にできるはずがない」
お題目、綺麗事。
世の中には一般に“正しい”と認知された言葉が溢れていて、その言葉が誰かの口をついて出た途端、人々から思考を奪い去り、それが唯一の正解であるかのようにあっさりと場を纏めてしまうことがあります。
それは一見効率的な会話のようにも思えますが、その実、その言葉に説得された側も、話者自身ですら、その意見の“もっともらしい”外形に騙され、納得したのではなく思考を放棄させられているだけであることが多々あるはずです。
ですが本来なら、そのもっともらしい言葉に対して「なぜ?」という反応があるはずなのです。
その「なぜ?」に答えられて、初めてその言葉を用いる資格があると私は思います。
情報が氾濫する現代社会において、雑誌やテレビで様々な意見や論に触れることは最早当たり前となってはいますが、他人の意見を自分の意見として模写暗記復唱するだけになるのではなく、
「自分で考え自分の言葉で話す」
このことを忘れてはいけないと思うのです。
他人の言葉で素晴らしいと感じるものがあったならば、それは好きに使えばいいと思います。
ですがそれは、その言葉を鵜呑みにするのではなく、その言葉の意味を自身でも考え、誰かの口からなぜその言葉が吐き出されたのか、思考過程を理解、せめて検討した上で用いるべきであると私は考えます。
繰り返し、このコミュニティの名前にある「安い言葉」というワードは、「他人から借りてきただけの、思考も内実を伴わない言葉」を意味します。
「そのような言葉が単純に嫌い、できる限り自分は使いたくない」
と お考えの方がそのアピールのため、周りに対して主張するため、コミュニティ一覧の端っこにでも置いていただければ幸いです。