【三沢光晴・急逝】
6月13日、広島で行われたGHCタッグ選手権挑戦者側として参戦、バックドロップを受けレフェリーストップの後、意識不明、心肺停止状態に陥る。直ちに救急蘇生措置が施され、6分後に救急隊が駆けつけるも、午後10時10分、死亡が確認される。広島県警中央署から、死因は頸髄離断である、と発表された。
46歳だった。5日後の18日には誕生日が控えての事故であった。
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【速報】プロレスの三沢光晴さん、リングで頭強打し死亡
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【速報】三沢光晴、試合中倒れる
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=三沢光晴(みさわ・みつはる)=
株式会社プロレスリング・ノア社長。
グローバル・レスリング連盟会長。
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'99年5月に全日本プロレス社長に就任。しかし、「理想のプロレス団体」を目指す三沢の姿勢と、全日本オーナー側との意見が一致せず、'00年に「PRO-WRESTLING NOAH(プロレスリング・ノア)」を旗揚げ。これにより、「全日本」「新日本」の2大勢力であったプロレス界に分裂、再編が行われるきっかけとなった。
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1962(S37)年 6月18日生まれ・埼玉県越谷市出身
デビュー:1981年(全日本プロレス)
2代目タイガーマスク(1984年〜1990年)
身長185cm:体重110kg:血液型O型
得意技:エルボー・タイガードライバー・タイガースープレックス・エメラルドフロウジョン
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「プロレスは最強である」という猪木イズムに対し、「プロレスはプロレスの内での最強を求めるべきである」という馬場イズムを最も理解し、かつ、それを引き継いだのが三沢光晴である。全日本時代の、いわゆる「四天王時代」において、「完成された『プロレス、という型』」を作り上げたという点での功績は、現在でも賛否両論分かれるものの、プロレスの技術、娯楽性を大幅に高めたという部分に関しては否定できないであろう。
現在では新日本・全日本・ZERO-ONEなどに参戦または選手を派遣、全日本時代に著しく見られた「鎖国体質」から脱却し、「業界の地位向上を目指して更に邁進」(公式HPより)しつつある。
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コミニュティ 「PRO-WRESTLING NOAH」
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PRO-WRESTLING NOAH 公式
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