いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、本名:碇矢 長一(いかりや ちょういち)、1931年11月1日 - 2004年3月20日)は、「ザ・ドリフターズ」(バンド、のちにコントグループ)のリーダー、俳優。
愛称は「長さん」。
イザワオフィス所属。東京市本所区(現在の東京都墨田区)生まれ。
享年72。
TBSテレビの「8時だョ!全員集合」やフジテレビの「ドリフ大爆笑」で一世を風靡した後、俳優として活躍。先に挙げた2番組での「お笑い」のイメージとは一線を画した、味わい深い「渋い」演技で多くのファンを魅了した。
1999年、『踊る大捜査線 THE MOVIE』で第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。
晩年は独特な語り口調を生かしナレーションを務めたことでも有名。
趣味はアフリカ旅行。
中学を卒業後、地元の製紙工場に勤めながら同僚らとハワイアンバンドを組みダンスホールで活動していた。
後年、自分の音楽の原点は吉原であったと述べている。
1959年にミュージシャンを目指し上京、最初の妻と共に新宿2丁目のアパートで暮らす。
ミッキー・カーチスも在籍していたロカビリーバンド「クレイジーウェスト」に参加後、カントリーウェスタンバンド「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」にベーシストとして加わり、立川や横須賀や横田の米軍キャンプで巡業。
しかし1961年12月31日、巡業の往路で交通事故を起こして「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」の所属事務所と気まずくなったため、1962年、加藤茶と同時期に、小野ヤスシらの在籍していた「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に参加。
その後、1964年に仲本工事、高木ブー、荒井注を加えて「ザ・ドリフターズ」を再結成すると共にナベプロの傘下に入り、ハナ肇とクレイジーキャッツの後釜として大々的に売り出した。1966年にはビートルズの前座として武道館で公演。
仲本のヴォーカルで「のっぽのサリー」(Long Tall Sally)を演奏した。
ベーシストとしては日本におけるチョッパー奏法の元祖とも称されているが、実のところはその頃ウッドベースからエレキへ転向したプレーヤーでは主流であった親指弾きである。
彼が行っていた音楽のカントリー&ウエスタンやロックンロールにチョッパーは全く必要ないし、チョッパーをしたこともないと元ドリフターズのメンバーで親友のジャイアント吉田が語っている。
とはいえ、今となっては珍しいその親指を使用した奏法は「いかりや奏法」「いかりや弾き」「長介弾き」とも呼ばれている。
むしろ、日本で初めてフェンダー製のベースを使用したベーシストであるということの方が、ベースプレーヤーとして特筆すべきことであろう。
(ウィキペディアより)
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