レーヴィ・マデトヤ Leevi Madetoja(1887-1947)
フィンランド北西部、ボスニア湾の北端に位置する港湾都市オウルに生まれた。レーヴィが生まれる前に漁師である父を亡くしたためマデトヤ一家は生活に窮し、彼は幼いころから街の掃除夫をしたり、製材所の工員として働いたりするなど、切り詰めた生活を強いられた。しかしそうした中でも音楽に魅かれ続け、ピアノやヴァイオリンは独学で学び、学校では合唱団で歌い、また指揮もしたという。やがて1906年にはヘルシンキにて学び、1908年からはシベリウスに作曲を師事した。また、この頃には各地の民俗音楽の蒐集にも力を注いだ。1910年からはパリ、ウィーンに遊学し、1914年から2年間、ヴィープリ(現在ソ連領カレリア地方)にてオーケストラの指揮者として働いた。1916年から1939年までヘルシンキの音楽院にて作曲を指導。だが、1934年に母アンナが亡くなり、翌年にはオペラ≪ユハ≫も決定的な成功は得られず、さらに1938年にはパリの地下鉄に第四交響曲の草稿が入った鞄を紛失する。1939年にはシベリウス音楽院の作曲科に応募するも、その席はパルムグレンに与えられるなど、悲しみと失望、そして不運が重なる様に彼を襲った。1940年にはマデトヤ夫婦共に健康を害し、1947年にヘルシンキにて60年の生涯を閉じた。
幼少期は貧困、そして晩年は寂寥の中に生きた彼でしたが、その音楽は人間的な暖かさと精神的な深みに満ちた美しさを湛えています。現在ではシベリウスを継ぐ世代としてもっとも重要な作曲家の一人として尊敬を集めています。
マデトヤ好きな方はもちろん、フィンランドをはじめ北欧の作曲家に興味をお持ちの方、ご参加お待ちしております!