◎江戸下町と言えば、日本橋と神田。
徳川家康が江戸に幕府を開いて(1603)
初めに取り組んだ町づくりが日本橋、神田、京橋・・・
すなわち江戸城の城下町である。
江戸城の下の町だから「江戸下町」。
◆江戸下町は、二本の大通り沿いの町人地を言う。
増上寺のある芝から中央通り(通り丁筋)沿いに、
新橋、銀座、京橋、日本橋から神田まで。
そして常盤橋から浅草橋まで続く江戸通り(本町通り)
沿いの町々(本町、伝馬町、馬喰町・・・など)。
下町には坂はありません。
坂の上の町は「山の手」と言います。
麹町、番町、本郷、湯島などなど・・・
ここでは江戸下町をテーマにしているから、
山の手も決して世田谷、杉並とかは言いません。
◆下町とは地域(エリア)なのです。
商店街があって、路地があって、
木造の長屋に植木や鉢植えが置いてあり、
縁台でネコが昼寝をしているというような
見た目(ビジュアル)では決してないのです。
見た目が、高層ビルが建ち並ぶオフィス街になろうとも、
ただの原っぱになろうとも、江戸下町の地域は
永遠に変らないのです。
◆江戸下町・神田を語りましょう。
慶長年間(1596〜1615)に成立した町を
江戸古町と言い、神田では三河町、鎌倉町、多町・・・と
二十カ町以上が成立しています。
幾度かの町名変更により、かつての古町の名も
随分と消えてゆきましたが、
多町や鍛冶町、須田町など江戸時代そのままの
町名もたくさん残っています。
また、町会活動や神田祭は、各町会とも旧町名で
活動するので、見えないところでかつての町名は
活き活きと甦ります。
◆江戸下町・神田を語りましょう。
日本橋は、下りものの関西系の大店を経営する
経済力が豊かな大旦那の町。
神田や京橋は、江戸の日常を支えるための
職人の町として成立しました。
江戸古地図で神田の町名を見ると、
その町の職人の生業が一目でわかるほどです。
現在でも鍛冶町とか紺屋町などの町名が残っていますね。
◆江戸下町・神田を語りましょう〜〜〜!
固いこと抜きです。
現代の神田で江戸下町を感じる場所、人、食べ物、
名物、言葉、催し物・・・祭など。
こだわりの江戸下町・神田を語りましょう。
わからない事、聞きたいことなど・・・
お薦めのこと、語り合いたいことなど・・・
どしどしとトピックを立ててくださいまし。
★江戸古町 神田多町特化サイト(祭ネタも多いっす)
西平の「神田探偵団」↓
http://