宮沢賢治が晩年に文語詩を書きためていたのを知っていますか?
あまり高く評価されて来なかったのですが、賢治は「この作品を書けたので、もう我が身はどうなってもいい」というようなことを語っていたそうです。
し・か・し 未だにそこには何が書かれているのか、賢治は文語詩のどこにどういう自信を持っていたのかさえ分かっていないのです!
研究され尽くした… とも言われる賢治ですが、宝の山というか、わからないことだらけなのがこの文語詩の世界。
ささやかなネタの交換ができればと思ってコミュを立ててみることにしました。