功山寺挙兵(元治元年1864年十二月 晋作二十六歳)福岡に潜居していた晋作は、長州藩内の模様を知って、このままでは再び起ちあがる機会を永久に失ってしまうと判断した。
急ぎ下関に舞い戻って、クーデターの兵を挙げようとする。
挙兵するといっても、萩には俗論派支配下の武士団二千人がいる。
これと戦うのをためらい同調する者がほとんどいない。
晋作の息のかかった奇兵隊でさえ、総管赤根武人や軍監山県狂介(有朋)の反対で動こうともしなかった。
ついに晋作は、少数の者をひきつれて、決起しようとする。
「拙者は御割拠も真の御割拠が得意なり。
進発も真の進発が得意なり。
ウハの割拠は不得意なり。
ウハの進発は聞くも腹が立つなり。
即ち大割拠なり。
砕くわが身と申すは拙者独立独行、甘んじて暴発いたすわけなり」
元治元年一月に書いた手紙にあるこの言葉は、晋作の真骨頂というべき名言だ。
ウワとは、まさしく偽善とかメッキという意味である。
ここで言う不良の定義は、ハードボイルド的な自分そして友人を売らない漢である。
そんな漢ここに集結せよ!!
そんな漢にあこがれる女性もここに集結せよ!!
困ったときには