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詳細 2013年3月27日 22:17更新

中山 成彬(なかやま なりあき、1943年6月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員。国土交通大臣(第10代)元文部科学大臣(第5代・第6代)。

安倍晋三内閣に内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)を務めた中山恭子は大蔵省時代の同期であり、妻。

目次 [非表示]
1 経歴
2 年譜
3 人物像・その他
4 政策
4.1 国土交通相として
5 発言
6 献金
7 参照
8 外部リンク



経歴
東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省。大蔵省大臣官房企画官などを経て1982年に退官し、政治家の道に入る。

2003年8月、私設秘書の給与(1996年12月から1998年2月までの計300万円)が大阪市の電子機器メーカーにより肩代わりされていたことが発覚した。2004年年の第2次小泉改造内閣にて文部科学大臣として初入閣し、様々な教育改革を提案した。

2007年1月の宮崎県知事選挙においては、自民・公明両党の推薦する持永哲志ではなく民主・社民両党の推薦する川村秀三郎を応援し、保守分裂と東国原知事当選の一因を作った。

町村派事務総長、かつて慰安婦問題で調査を行い、南京大虐殺は存在しないというレポートを出した日本の前途と歴史教育を考える議員の会会長を務める。


年譜
1943年6月7日 - 宮崎県小林市に生まれる
1959年 - 宮崎県立小林中学校卒業
1962年 - 鹿児島ラ・サール高校卒業
1966年 - 東京大学法学部卒業、大蔵省入省。同期に、夫人の中山恭子、武藤敏郎、浅見敏彦(関税局長)など
1971年 - 東京都荏原税務署長
1975年 - 世界銀行(ワシントン)へ出向
1978年 - 大蔵省主計局主査(防衛担当)
1980年 - 大蔵省東海財務局理財部長(名古屋)
1982年 - 大蔵省大臣官房企画官 大蔵省を退官、政治活動に入る
1983年12月 - 第37回衆議院選挙に衆議院選旧宮崎2区より初出馬(551票差で落選)
1986年7月 - 第38回衆議院選挙に初当選
1990年12月 - 文部政務次官に就任(-1991年11月5日)
1993年7月 - 第40回衆議院選挙で落選
1996年10月 - 第41回衆議院選挙で当選し返り咲く
2000年12月 - 通商産業総括政務次官に就任(-2001年1月5日)
2001年1月 - 経済産業副大臣に就任(-同年4月26日)
2003年9月 - 自民党副幹事長に就任
2004年9月 - 文部科学大臣に就任(第2次小泉改造内閣)
2006年10月 - 自民党政務調査会副会長に就任
2008年9月25日 - 国土交通大臣に就任(麻生内閣)
2008年9月27日 - 国土交通大臣辞任の意向

人物像・その他
北京オリンピックを支援する議員の会所属。
2008年2月に結成された、九州と韓国を繋ぐトンネルの建設を目指す日韓海底トンネル推進議連の立ち上げに参加。
南京事件否定論者でもある。慰安婦問題に対しても連行過程や慰安所内での慰安婦に対する人権侵害、およびそれに対する日本軍・日本政府の責任を認めない立場である。
米下院121号決議の可決後に日本の前途と歴史教育を考える議員の会主催の記者会見で米下院への反論を行うと明言した。
後述「#発言」に見られるように、教職員組合の存在と活動に否定的。

政策

国土交通相として
「必要な道路は造っていかないといけない」「都会にも改良すべき道路はたくさんある」と述べ、地方の道路整備を進めると同時に首都圏でも道路の再整備を続ける方針を示している。[1]
「公共事業の削減はもう限界。財政再建は必要だが、削減一辺倒という考えはやめてほしい」として公共事業への積極投資を示唆している。[2]

発言
2008年9月25日、成田空港拡張工事への反対派に対して、「戦後教育が悪かったと思うが、公のためにはある程度自分を犠牲にしてでもというのがなくて、自分さえよければという風潮の中で、なかなか空港拡張もできなかったのは大変残念だった。」 と述べた。また教育問題について、「(贈収賄事件のあった)大分県の教育委員会のていたらくなんて日教組ですよ。」「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。」「(日教組が強いから)大分県の学力は低い」と、日教組を批判した。この発言に対し日教組の岡本泰良書記長から抗議文書が送られる事態に至る。

また、(文科相時代に)全国学力調査を提唱した理由も、自説を証明するためであり、証明が完了した以上調査の役割は終わったとも述べた[3]。しかし、学力に関しては日教組が強く学力も高い地域、日教組が弱く学力が高い地域、日教組が弱く学力が低い地域、日教組が強く学力が低い地域(中川の発言に沿った地域)などさまざまであり、朝日新聞は、全体的な相関関係はうかがえないとしている[4]。また、海外からの外国人観光客の誘致策を問われた際、「日本はずいぶん内向きな、単一民族といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない。」と述べた。しかし同日晩にはこれらの発言について、誤解を招く表現だったとして撤回し、陳謝した。また「日本は単一民族といいますか」と発言したことについては「アイヌの人々が独自の宗教、文化を持った民族であることは認識している」と語った。[5]

ただ、日教組に対する批判については「撤回はしない。わたしは日本の教育のガンは日教組だと思っている。ぶっ壊すために火の玉になる」「何とか(日教組を)解体しなければならない。」と述べ[6][7][8]、千葉県知事・ウタリ協会代表からの抗議申し入れは直接応対したものの日教組に対しては拒否。日教組側は「非常に憤りを感じる」「直接本人に会って、真意を伺うとともに、改めて辞任を求めていきたい」とコメントした[9]。

成田空港問題や民族についてなど、過去の政府見解とは異なる私見を閣僚が発言したことで批判が出た[10]。橋下徹大阪府知事は、中山の発言について「表現方法は賛否両論あると思うが、本質をついているような発言なんじゃないですか」と語り、また自身の経験と重ねて、「(学力調査の公開には)教員が大騒ぎして大反対している。教員組合が強いかどうかはわからないが、教員が教育の中立性の名の下に府民の声を聞かなかった」などと述べ、中山を擁護した[11]。

2008年9月27日、大臣辞職の意向を固める[12]。

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カテゴリ
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