千葉周作(ちばしゅうさく 寛政5年 1793年〜安政2年 1856)江戸時代の剣術流派「北辰一刀流」の創始者、千葉道場の総師範。
出生地は「岩手県説」と「宮城県説」の2説がある。有力なのは「岩手県陸前高田市気仙町中井の天満宮下」である。
曽祖父の道胤は相馬藩の剣術指南役であったが、御前試合で敗れ、役を辞する。
道胤の子吉之丞常成は北辰夢想流を創始したとされる。
その後、千葉県松戸市に移り、馬医者を開業する。
周作の父、千葉忠左衛門成胤も指南役の道を辞して馬医者となる。
周作が5歳の時、父成胤は妻を捨て、周作を連れて家出・・宮城県栗原郡長岡村荒谷へ移る。
周作は親元を離れ、中西派一刀流の流を汲む浅利義信に入門。
後に独立し、北辰一刀流を創始した。
文政5年 1822年秋 日本橋品川町に玄武館道場を開く。
後、神田お玉ヶ池に移転し、多くの門人を抱える。
千葉周作門下からは幕末の重要人物を多く輩出した。
主な人物は浪士組幹部の「清河八郎」そして「山岡鉄舟」新撰組幹部「山南敬助」「坂本龍馬」など。
千葉周作の墓所は東京都練馬区、十一ヶ寺「仁寿院」と豊島区「本妙寺」の二か所が知られておりますが、これは、現在では本妙寺が正しいのでしょう。
千葉周作ファンの方、一刀流ファンの方々が楽しく語れる場としたいです。