■山内溥 (やまうち ひろし)
任天堂の元社長 山内溥 氏に魅せられた方が集まるコミュニティです。
山内溥氏に関するインタビュー情報やご意見・ご感想など書き込みください。
任天堂創業家三代目社長として「強い任天堂」の礎を築いた山内氏。
2002年、ついに53年間就いていた社長職を引退。現在は任天堂の相談役、筆頭株主 (全株式の10%を保有) でもあるが、本社から情報はFAXで随時届くものの、経営に関しては一切口出ししていないという。
社長時代、歯に衣着せぬ物言いから恐れられてきた一方で、社員からの信頼は厚く、「昔はみな社長の笑顔が見たくてがんばった」と愛されている山内氏。
山内氏の座右の銘は「失意泰然・得意冷然」であるという。つまり、「うまくいかないときはあせらずに行動し、反対に好調なときほど驕らずに真摯な態度で臨む」ということだ。
世界の任天堂となった今日でも、山内イズムとも呼べる禁欲的で慢心しない姿勢は、経営陣をはじめ全社隅々まで徹底している。無借金経営、1兆円にもわたる預金を保有していながら (2007年9月) 、任天堂は決して娯楽という領域からははずれることなく、独自の路線を歩み続けている。多くのキャッシュはリスクのための備えであるという。
任天堂に経営理念や社是はない。固定的なものの考え方は、新しい発想を生む上で邪魔になるからだという。「独創」こそが山内氏、いわば任天堂の精神いや体質そのものなのだ。
「娯楽はなくても生きていける」「ゲームは生活必需品ではないから、面白くなければ売れない」「人々にいつも新しい驚きを与えるのが任天堂のビジネス」
「任天堂は「ソフト」を主、「ハード」を従と考えている」「任天堂はハードとソフト一体型のビジネスだ」
これらはすべて山内氏から今日の任天堂へと引き継がれている。その信念は一貫して揺るがない。山内氏が数々の失敗と成功を繰り返しながら、長い期間をかけて任天堂の礎を築きあげてきたのである。
山内氏なくして今日の任天堂、いやゲーム業界はありえなかっただろう。
■山内氏のことが詳しく書かれているサイト
>山内語録 (山内氏の公での発言 (名言) を集めたありがたいサイト)
http://
>山内溥 (Wikipedia)
http://
>Philosophy of Nintendo (山内氏と任天堂の本質がよく考察されています)
http://
注:ハード体質の人は参加できません(笑)
■山内溥プロフィール
氏名: 山内溥 (やまうち ひろし)
本名は「博 (ひろし)」だが、50過ぎに「溥 (ひろし)」へと改名。
生年月日: 1927年11月7日 (満85歳没)
出身: 京都市
身長: 166cm
体重: 57Kg
血液型: A型
星座: 座
右きき
家族構成: 妻1人、妹1人、子3人
座右の銘: 失意泰然、得意冷然
1927年 京都市に生まれる
1949年 祖父の他界により若干22歳で任天堂社長に就任
1953年 日本発のプラスチック製トランプの開発に成功
1963年 「任天堂骨牌株式会社」から「任天堂」現社名に変更
大阪証券取引所市場第二部上場
1991年 大リーグシアトルマリナーズのオーナーになる
2002年 代表取締役社長退任、後任に岩田聡氏を指名
2005年 取締役からも退く(慰労金12億を辞退)
2006年 百人一首記念館「時雨殿」建設費10億円を寄付
京大病院のガン病棟建設に私財75億円を寄付
2013年 肺炎のため死去(享年85歳)