戦後1945年に、戦前の東京セネタースの中心人物だった
横沢三郎がセネタース再興を目指し、新規に設立した
プロ野球球団(法人名:セネタース野球協会)。
大下弘、飯島滋弥、白木義一郎など即戦力選手を集めたが、
個人で立ち上げた球団だったため財政的に非常に厳しく、
ユニフォームなど戦前の阪急のお下がりという状態だった。
旧華族の西園寺公一(西園寺公望の孫)をオーナーに付け、
銀座のキャバレー経営者で高利貸しを兼ねていた織手登が
スポンサーになったものの、結局資金不足に陥り横沢は
球団経営を諦めざるを得なくなり、1946年1月に球団を
東急電鉄に売却した。公式戦、わずか1年で消滅している。
その後、急映、東映、日拓、日本ハム、と続いている。
以上 Wikipedia より。
監督:横沢三郎
青バット 大下弘
ロングロングアゴー 白木義一郎
月に向かって打て 飯島滋弥
珍名選手代表 一言多十 熊耳武彦
まあ、兎に角個性的な選手の集まりでした。
都会的でスマートな選手が多い中、
成績はイマイチ(5位)でしたが、
勝負にこだわらず、ひとつひとつのプレーや
パフォーマンスでファンを惹きつけた
独特の魅力を持ったチームです。
写真は、監督の横沢三郎氏。