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ジュリアス・シーザー

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詳細 2018年12月1日 20:40更新

ガーイウス・ユーリウス・カエサル、紀元前100年7月13日 - 紀元前44年3月15日[1])は、古代ローマ最大の軍人、政治家であり文筆家。共和制ローマ末期の混乱を鎮め、帝政への道を開いた。

ガイウス・ユリウス・カエサルはラテン語での呼称であり、イタリア語ではガイオ・ジュリオ・チェーザレ、英語ではガイアス・ジュリアス・シーザーと呼ばれる。「カエサル」の名は、帝政初期にはローマ皇帝が帯びる称号のひとつ、帝政後期には副帝の称号となった。ドイツ語の Kaiser(カイザー)やロシア語の царь(ツァーリ)など、後の時代の皇帝を表す言葉の語源にもなっている。

カエサルは文筆家としても卓越した才能の持ち主で、マルクス・トゥッリウス・キケロとともにラテン文学の散文において双璧をなしている。特に『ガリア戦記』の雄渾で簡潔な文体は高く評価されている。

政治家としては、カエサルは終身独裁官に就任したことで、実質共和制を崩壊させ、帝政に導いたことから、共和制を支持する人々を中心に、批判した人も少なくなかった。史実を見ると、カエサルの生きた共和制末期は内乱の一世紀と呼ばれ、圧倒的な権力を握る有力者が次々と現れる時代だった。つまり、元老院による指導体制は事実上崩壊しており、既に広大な版図を支配するようになったローマにはそぐわない政治システムになっていたと言われる。そもそも、元老院は庶民救済策とも言える農地法を土地所有者である自身の損得勘定だけで廃止し、賛成者を反体制派として強権的に処刑していった時点で既に暴走していたとも考えられる。また、元老院を中心とする共和制を反対派をことごとく粛清までして立て直したスッラの死後、国政をリードできる者が元老院にはなく、結局スッラの配下であったボンペイウスやクラッススらにより、スッラ体制は崩壊していったことからも、もはや元老院中心の共和制は成り立たなくなっていたのである。カエサルは、過渡期の混乱を収拾して結論を出した人物であり、言わば死水を取ったに過ぎないとする意見も多い。

カエサルが元老院議員として初めて表舞台に出た頃の評価は、「借金王」「女たらし」と言ったもので、事実、借金は天文学的で、女好きもローマ市民なら誰でも知っているほど有名だった。しかし、これらはカエサル自身の生き方に密接に関わっている。

イタリアの歴史の教科書には「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、この全てを持っていた。」との記述があるともいわれている。

ドイツのローマ法学者であるテオドール・モムゼンは「ローマが生んだ唯一の創造的天才」と評した。

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カテゴリ
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