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Go Spurs Go!!

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詳細 2010年8月26日 15:57更新

サンアントニオ・スパーズ(San Antonio Spurs)を応援するコミュ☆

テキサス州サンアントニオに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。ウェスタン・カンファレンス、サウスウェスト・ディビジョン所属。

地味で面白みがないと言われるスパーズ・・・。

それでもスパーズは1999年、2003年、2005年、2007年と4度のNBAチャンピオンに輝いている♪

連覇はまだなく、なぜか優勝しているときは奇数のときだけである。

そんなスパーズの歴史を少々紹介します。

現在のサンアントニオ・スパーズの原型となったチームは、1967年にNBAに対抗する形で発足したプロバスケットボールリーグABA創設と同時にリーグに加盟したダラス・チャパラルズだった。1973年にはサンアントニオの実業家に買い取られて同地に移転、チーム名を今日のサンアントニオ・スパーズと改めた。1976年にABAが解散する際、スパーズはABAからNBAに加盟する4チームのうちの1つに決定された。

スパーズ初期のスター選手は1974年にバージニア・スクワイアーズから獲得したジョージ・ガービン。

次のスパーズのスター選手は、1987年にドラフト1位で指名された海軍兵学校のデビッド・ロビンソンだった。愛称は海軍兵学校卒ということもあり、提督と慕われていた。

時は流れ・・・

ツインタワーと言われる時代に突入する。

1997年のドラフト全体1位指名権を獲得、ウェイクフォレスト大学でオールアメリカンとなったティム・ダンカンを獲得した。このときからロビンソンとダンカンのツインタワー時代と言われている。また、ダンカンのニックネームは基本に忠実ということもあり、ビック・ファンダメンタルと呼ばれている。チームメイトはティミーと呼ぶ。

ツインタワー時代には、1999年と2003年に優勝しており、2003年にロビンソンは引退を表明。ロビンソンの引退に有終の美を添えるためにチーム一丸となって優勝を目指し、見事優勝を果たした。

2004年からはダンカンを中心としたチーム作りがスタートする。

現在のスパーズはトニー・パーカーやエマヌエル・ジノビリなどといったアメリカ出身ではない選手が多く、多国籍軍ともいわれていて、ダンカンを中心とした現在のスパーズは2005年と2007年に優勝している。

この実績は選手の能力が高いだけでなく、コーチにあると思う。現ヘッドコーチ、グレッグ・ポポヴィッチである。

ここからグレッグ・ポポヴィッチというコーチの人物を紹介していく。

ポポヴィッチをNBAの世界にもってきたのはラリー・ブラウンである。

空軍士官学校時代、バスケットボールチームのキャプテンでありチームの得点リーダーでもあったポポヴィッチは、1972年の米代表チームの選考キャンプに招待され、そこで選考を手伝っていたブラウンと出合った。

その後、空軍士官学校のアシスタントコーチを経て、カリフォルニアにあるNCAAディビジョン?のポモナ-ピッツァー大のヘッドコーチを8シーズン務めたポポヴィッチは、その間に何度かブラウンのバスケットボールキャンプに参加した。

1985年にポポヴィッチはポモナ-ピッツァー大のヘッドコーチを休職して、当時ブラウンがヘッドコーチをしていたカンザス大で無給アシスタントコーチを務めたこともあった。

ポポヴィッチのことを気に入ったブラウンは1988年、スパーズのヘッドコーチとなった時にポポヴィッチを第一アシスタントコーチとして雇った。これがNBAへの第一歩である。

ブラウンがスパーズを辞め、アシスタントコーチ陣が揃ってクビになるとゴールデンステイト・ウォリアーズでドン・ネルソンの元でアシスタントコーチを務めたが、2年後、すぐにまたスパーズに戻る機会が訪れた。それもコーチとしてではなく、GMとしての復帰だった。

なぜGMに選ばれたかというと、当時のスパーズのオーナーがチームを売却しようとしていた。買い手によってはチームがサンアントニオから移転してしまう可能性もあると危機を感じた地元の名士たちが22人の評議員を作り、一時的にチームを購入していた。その代表がポポヴィッチが空軍士官学校の生徒だった時の学長、ロバート・マクダーモット将官だった。

チームを地元に残すためには、何よりもしっかりした価値観を持つことが大事だと判断したマクダーモット将官はGM候補としてポポヴィッチに声をかけた。直接の面識はなかったが、スパーズ内でもアシスタントコーチ時代の評判はよく、またマクダーモットの娘がポポヴィッチの妻のことを昔から知っていたという縁もあった。

後にポポヴィッチは、「自分が選ばれるとは思っていなかった。面接をするだけでもいい経験になると思ったから出し惜しみせず、考えていたことを全て話した。」と振り返る。この面接で、提案した『作戦(どのように一流のフランチャイズに変わるべきかなど、かなり徹底した案だったという)』がマクダーモット将官に評価され、ポポヴィッチは目立った経歴がないにも関わらず、スパーズのGMに抜擢された。

時は流れ・・・

ポポヴィッチは1996年12月にヘッドコーチとなった。

12月、スパーズのヘッドコーチになったポポヴィッチに対する世間の第一印象は、決して良いものではなかった。3勝15敗と低迷していた当時のヘッドコーチ、ボブ・ヒルを解雇し、みずからをヘッドコーチの任命したのだった。これがNBAでも経験豊かなコーチだったらまだ抵抗はなかったのかもしれないが、何しろポポヴィッチにとっては初のNBAヘッドコーチである。

しかも偶然、故障していたロビンソンが戦列に復帰する日だったのもタイミングが悪かった。利己的な動きだと批判され、世間のポポヴィッチに対する風当たりはかなり激しかった。当時、地元紙のサンアントニオ・エクスプレスが行ったアンケートによると、回答者の93%がポポヴィッチの解雇を望んでいたほどだった。そのうえ、ベンチのポポヴィッチは苦虫を噛み潰したような表情で、いつでも軍隊式に選手たちを怒鳴り散らしているように見えた。選手個々の主張も強いプロの世界では、そんなコーチングではとても長く続くとは思えなかった。

しかし、スパーズ選手たちの間でのポポヴィッチの評価は意外なほどよかった。そのころ、スティーブ・カー(当時ブルズ)は、アリゾナ大時代の親友のショーン・エリオットにスパーズ内でのポポヴィッチの評価について聞いたことがあった。「ポップは人づき合いがうまい。僕ら選手ともとてもいい関係を築いている」とエリオットはカーに話した。カー自身、99年1月にスパーズにトレードになり、エリオットが話していたことを身をもって体験することになった。

「ポップはとても意志が強い人だが、それでいて選手とのつき合い方がうまい。コーチの中には選手を恐れていたり、あるいは選手に対して厳しくしすぎることを恐れている人もいるけれど、彼は選手に対して厳しくすることを恐れていない。その一方で、選手に対して常にフェアであり、寛大だ。その組み合わせ方、バランスの保ち方が絶妙なんだ」とカーは言う。

チームの外にいる人間から見るとポポヴィッチの厳しい面ばかりが目につくのだが、その裏でふだんのポポヴィッチは、選手を気遣い、選手の家族に気をかけ、話題豊富で面白いのだという。実際、選手や周りのスタッフに聞くと外からでは分からないポポヴィッチの素顔、エピソードが次々とでてくる。

また偶然、選手と同じレストランに入った時は、選手のテーブルの分までいつでも払ってくれるとのこと。「ダンカンやロビンソンだけでなく、チーム6番目の選手や15番目の選手でも、同じようにつき合っている。どの選手に対しても、彼らがチームの大事な一員でチームが彼らを必要としているということを感じさせるコーチはそうは多くない。」と、マイク・ブラウン(キャバリアーズコーチ)は言う。

ポポヴィッチはいつも自分に注目が集まることを嫌がる。いつなんどき質問をしても「優勝できたのはロビンソンやダンカンのおかげだ、私がしたことと言えばへまをしなかったことだけだ。」

と言い、周りからの称賛を本気で受け取らず、心から謙遜し、すべての称賛を選手やスタッフに向ける。「そうやって自分の手柄にしないことによって、彼は選手たちからの敬意を集めている。言ってみれば、自分の手柄にしないことで彼はチーム内でより大きなパワーを持っているのだと思う。」とカーは、ポポヴィッチと選手の間の絶妙な力関係を描写する。

選手に恐怖を抱かせることでコーチングするのではなく、敬意を抱かせることでコーチングしている。

選手の持ち味に合わせて、コーチングスタイルを柔軟に変化させてきたこともポポヴィッチの評価を高めている。


やはりスパーズの素晴らしさを知ってもらうには、ポポヴィッチという人物を知ることによってもっと好きになると思ったんで書きました。

スパーズのファンだという人も、これからスパーズというチームを知っていきたいという人はぜひ参加して下さい♪♪




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[現ロスター]
21→ティム・ダンカン(Tim Duncan)
9→トニー・パーカー(Tony Parker)
20→マヌ・ジノビリ(Manu Ginobili)
15→マット・ボナー(Matt Bonner)
12→ブルース・ボウエン(Bruce Bowen)
4→マイケル・フィンリー(Michael Finley)
25→ロバート・オリー(Robert Horry)
28→イアン・マイーミ(Ian Mahinmi)
7→ファルジオ・オベルト(Fabricio Oberto)
3→デイモン・スターダマイアー(Damon Stoudamire)
40→カート・トーマス(Kurt Thomas)
5→アイミ・ウドカ(Ime Udoka)
11→ジャック・ボーン(Jacque Vaughn)



[永久欠番]
00→ジョニー・ムーア(Johnny Moore)
5→エイブリー・ジョンソン(Avery Johnson)
13→ジェームズ・サイラス(James Silas)
32→ショーン・エリオット(Sean Elliott)
44→ジョージ・ガービン(George Gervin)
50→デイヴィッド・ロビンソン(David Robinson)



[往年の名選手]
・ウィリー・アンダーソン(Willie Anderson)
・テリー・カミングス(Terry Cummings)
・ヴィニー・デル・ネグロ(Vinny Del Negro)
・マリオ・エリー(Mario Elie)
・ダニー・フェリー(Danny Ferry)
・アーティス・ギルモア(Artis Gilmore)
・ジャレン・ジャクソン(Jaren Jackson)
・スティーブン・ジャクソン(Stephen Jackson)
・スティーブ・カー(Steve Kerr)
・ナジー・モハメド(Nazr Mohammed)
・ラショー・ネステロヴィッチ(Rasho Nesterovic)
・チャック・パーソン(Chuck Person)
・アルヴィン・ロバートソン(Alvin Robertson)
・デニス・ロドマン(Dennis Rodman)
・マリック・ローズ(Malik Rose)
・ブレント・バリー(Brent Barry)
・フランシスコ・エルソン(Francisco Elson)

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参加メンバー 4人
開設日
2008年2月25日

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カテゴリ
スポーツ
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