★†††★
ナチスの副総統★
ルドルフ・ヘスが好きな人☆★
ヘス以上に味わい深い有名人っているんでしょうか。
過去も今もこれからも、
彼を超える有名人は出ないように思います。
★★★
アドルフ・ヒトラー
(アドルフ・ヒットラー)
ヘス副総統(総統代理)
ゲッペルス、ボルマン、ゲーリング、
★謎に包まれたスコットランド単身飛行和平交渉★
ヒトラーと話し合いの上?
チャーチルの策略で封印?
★他殺か自殺か★
イギリス政府による暗殺??
★2017年、イギリスはヘス関連の文書を公開する★
★
1894年4月26日
エジプトのアレクサンドリアで貿易商の子供として生を受ける。
★★★★★
ドイツの伝統やしきたり、国民性を重んじる厳格で権威主義的な父親のもと、
内向的で神秘主義に惹かれる青年に育つ。
14歳になって初めてドイツに渡り、
★★★
1908年9月15日から1911年の復活祭まで、
寄宿制ギムナジウム:バド・ゴーデスベルク教育学校に在席し、
物理と数学で才能を発揮。
★★★しかし、父親はヘスを商人にするための学校に入学させる。
★★★
第一次世界大戦で、
初めて父を押しきって、
志願したバイエルンの歩兵連隊に入営。
「父に勝った!」
1917年ルーマニアで負傷した後に戦闘機パイロットに転向(バイエルン第34戦闘機中隊)。少尉まで昇進。
★★戦後、ミュンヘン大学で政治学を学んだが、
トゥーレ協会の反ユダヤの影響を受けるようになる。
★★国粋主義運動に没頭し、
トゥーレ協会やエップの率いる義勇軍団に加わり、
ミュンヘン・レーテ共和国の打倒に参加した。
★★また、カール・ハウショーファー教授の拡張主義や生存権の理論にも影響を受けた。
★★★ドイツを立て直すために、ヒトラーのような人物の出現が必要だとする論文を製作。
★★
民族社会主義ドイツ労働者党が、1919年1月、ミュンヘンで創設される。
数ヵ月後にヒトラーが参加。すぐに最も有名な演説家となる。
★★★1920年5月、ミュンヘンのシュテルネッカー醸造所の隣の部屋で開かれていた小グループの夕方集会でヘスはヒトラーの演説を聴き、強い感銘をうける。
★★★1920年ナチ党の創立メンバーとなり(16人目)、
学生リーダーとなってヒトラーとも密接な関係を築く。
★★★ミュンヘン一揆に参加するが失敗し、
ヒトラーとともに、
ランズベルク要塞に収監される。
★★★★★ここで、
ヒトラーの『我が闘争』の口述筆記を行い、
ヒトラーに、生存権や国粋主義、ナチスの組織について助言を行っている。
釈放後、1925年からはヒトラーの個人秘書となる。
1932年には党中央政治委員会議長、親衛隊指揮官となる。
1933年にヒトラーが首相に就任すると、無任所大臣、副総統に就任する。
親衛隊名誉指導者として親衛隊大将の制服の着用を許される。
総統代理としては、党員に対してヒトラーへの無条件服従を誓う個人崇拝を推進する。
1934年には全省庁の政策の共同立案責任者となる。
“長いナイフの夜”ではエルンスト・レーム粛清と突撃隊の不服従是正に尽力した。
1935年公務員の任免権を与えられるが、
このころからヒポコンデリーに悩む。
エルンスト・ボーレ(側近)
イルゼ・プレール(妻)、
レニー・リーフェンシュタール『意志の勝利』
★★★★★
1941年5月10日
独ソ戦の開始直前に、
イギリスとの休戦交渉を目的に、武装を外した戦闘機で、
単身でスコットランドに飛行。
ハミルトン公爵
★★★交渉は無視され(?)、終戦までロンドン塔に幽閉される。
(チャーチルが、イギリス国内での自身の権力保全のために戦争を続ける必要があり、この和平案を拒否し、歴史の闇に葬ったとの説がある)
ドイツ、及びイギリスは、それぞれ、ヘスが精神を病んでいたために行った行動だと発表。
★★★★★
ニュルンベルク裁判
「ヒトラーはドイツであり、ドイツはヒトラーである」
「私は、わが国民が千年の歴史の中で産み出したもっとも偉大なる息子のもとで、私の生涯の多くを費やして働く機会に恵まれました。もし可能だとしても、私の生涯から、この時期のことを消し去ろうとは思いません。私は、ドイツ人として、民族社会主義者として、総統の忠実なる部下として、わが国民に対する義務を果たしました。そのことに喜びを感じております。後悔することは何もありません。
すべてを最初からやり直すことができたとしても、すでにやってきたことと同じように行動するでしょう。たとえ、このことで火刑に処せられるようになることを知っていたとしても、そうするでしょう。人間がたとえどのようなことをしようとも、いつの日か、私は、永遠なるものの裁きの椅子の前に立つことでしょう。そして、私は、永遠なるものの尋問に答えるでしょう。そして、私は知っています。永遠なるものは私を無実であると審判するであろうことを」
ニュルンベルク裁判でヘスを裁いたことは、
現在では多くの歴史家が、
“極めて不当であり、ニュルンベルク裁判自体が、戦勝国による悪意の復讐を目的とした裁判であることの顕著たる証拠”
とされている。
(チャーチルでさえも、のちに、ヘスのニュルンベルクでの扱いは誤りだったと述べ、刑務所での処遇について憂慮していた)
★シュパンダウ刑務所
最期の囚人
(600人以上収容できる監獄にたった一人)
“党の良心”、
“平和の囚人”とも呼ばれる。
ひとり、宇宙旅行や宇宙計画を瞑想。
アメリカ人管理局長Eugene Bird中佐
「世界で最も孤独な人間」
ドイツ人被告に非常に批判的な姿勢をとっている歴史家:ロバート・コノット
「上品で誠実な人物」
「心からの平和主義者」
ネオナチからは殉教者として支持を集める。
(本人はネオナチを批判)
★★★★★
1987年8月17日
釈放の可能性が高まった矢先、
首に不自然にコードが巻かれた状態で死亡しているのが発見される。93歳。
イギリス主導で秘密裏に処理。
イギリス政府の暗殺説が絶えない。
(イギリスは、2017年にヘス関連の文書を公開する)
★ウンジーデルの墓地に埋葬されている。
ハーケンクロイツ
国家社会主義ドイツ労働者党、ナチス、第三帝国
第二次世界大戦
カイテル、ヒムラー、アイヒマン、リッベントロップ、ローゼンベルク、ハイドリッヒ、ヨードル、フリック、ザイス・インクバルト、カルテンブルンナー、フランク、ザウケル、シュトライヒャー、シェレンベルク、ルドルフ・ヘス、エーリッヒ・コッホ、レーダー、ノイラート、フリッチェ、シュベーア、バーベン、フンク、シャハト、シーラッハ、ロンメル、デーニツ、グデーリアン、マンシュタイン
それではご自由にどうぞ★