ナレーションの仕事は約20年前、家電メーカーのテレビCMでやったのが最初だったという。当時は変なナレーションだと批判されたと振り返る。それどころかナレーションには苦手意識があったのだとも明かす。
俳優デビューは1967年。地元名古屋でだった。やはり地元のラジオで深夜放送のパーソナリティーを務めもした。そんなこともあってナレーション技術の勉強もしたのだが、アナウンサーのようにはっきりと語ることがよいとされる中で、独特の語り口は「めりはりがない」「流れが悪い」などと批判されたのだった。
苦手意識がありながらナレーションの仕事を増やしていったのは、そもそも「ドラマをやるよりは楽だから」と笑う。
「人前に出るのが好きじゃないんで、ナレーションのほうが性分には合っています。せりふを覚えるのもめんどうくさいし」
『機関車トーマス』の場合は、子供たちの夢の中にそうっと種をまくような気分で語る。“成人した子供”たちの夢にちょっとたねをまく。それがナレーションなのかもしれない」
「もう年ですからね。遺産をどう作るかと考えることがあるんですよ。僕は映画に育てられたので、“読む映画”をやってみたい。映画の場面写真だけを並べてこれにナレーションをつける。20分ぐらいのものでね。版権処理が難しいようですが、いままで観た映画、読んだ文学を、そういう形でさらえたらいいな」
と、ナレーションでの表現への夢はつきない。
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