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甲子園ボウル

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詳細 2023年7月17日 21:45更新

★甲子園ボウル★のコミュニティを立ち上げました。

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’甲子園ボウル’の公式ホームページはこちら
http://www.koshienbowl.jp/2008/

2008年12月21日13:00キックオフ
大阪市長居スタジアム


★甲子園ボウル(こうしえんボウル)とは、アメリカンフットボールの東西大学王座決定戦のこと。

毎年12月に、関西学生リーグと関東学生リーグの王者同士が、兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場で対戦し大学王座を争う。

主催は日本アメリカンフットボール協会と毎日新聞社であり、正式名称は「毎日甲子園ボウル」。

2007年の第62回大会は甲子園球場の改修工事に伴い「毎日甲子園ボウル in NAGAI」の名称で大阪市長居陸上競技場で開催される。 


★「概要解説」
戦後、各大学の活動が再開され、回復・発展の動きを見せていたアメリカンフットボールのイベントを検討していた毎日新聞社に、戦前から行われ中断していた同志社大学と慶應義塾大学の春の定期戦を復活させる話が持ち込まれたのが開催の発端である。

当時の運動部記者であった葉室鐵夫らが阪神電鉄に働きかけ、進駐軍への接収が解かれた甲子園球場を使用することに決まった。

第1回大会は慶應義塾大が45-0で同志社大に勝利した。

翌年の第2回大会からは東西リーグの優勝校が出場し、勝者を大学王者とする運営形態に徐々に整えられていった。

現在では、関西学生連盟が関東学生連盟の優勝チームを招待して、関西学生リーグの優勝チーム(或いは代表チーム)と対決し東西大学の王座を決定するという名目の対抗戦試合である。
但し、現状の日本国内における大学アメリカンフットボール競技では、全国規模で統一された選手権大会が存在せず、更には技量の面で関東・関西の学生連盟所属校が全国の中でも群を抜いており、かつ本大会が日本国内でも有数の伝統あるボウルゲームでもある事から、事実上、学生日本一の決定戦として認知されている。(関連で後述のライスボウルへの出場方法をめぐっても参照。)

2005年の大会で通算60回を数え、ハーフタイムショーではこれを記念して、芝川龍平(関学大)、東海辰弥(京都大)、梶山龍誠(日本大)、河口正史(立命館大)の往年の名選手4名を招いてセレモニーが行われた。


★[対戦校の決定方法]
関西学生リーグの優勝校が出場する。
優勝校が複数ある場合はプレーオフを行って出場校を決定する。

関西学生リーグでは1部所属8校による1回総当りによるリーグ戦(シングル・ラウンド・ロビン方式)で優勝チームを決定。
若し、同率1位の場合は同点優勝とするが、甲子園ボウル出場校を決定する為に関西代表決定戦(1試合のプレーオフ)を実施してその勝者が出場する。
3チーム以上が同率1位となった場合は、トーナメント戦を行う(近年では1996年に京都大学・関西学院大学・立命館大学が同率1位となっている)。

関東学生リーグの優勝校を招待する。
(関東学生リーグの優勝校の決定方法は本大会の実施要項で規定されておらず、関東学生連盟に一任されたものである。)

関東学生リーグでは1部所属16校を8校ずつの2ブロック(A・Bブロック)に毎年編成替えを行い、ブロック毎に1回総当りのリーグ戦を行う。
各ブロックの1位校が関東大学選手権(クラッシュボウル)で対戦し、その勝者が関東学生リーグの優勝校として出場する。

★[試合方式]
通常の4クォーター制(1クォーター15分)で試合を行い、得点の多いチームの優勝。
同点の場合は両校優勝となる。
甲子園ボウルの勝者はライスボウルの出場権を得て、社会人王者と対戦する。
(同点優勝の場合は以前はコイントスによって出場チームを決定していたが、現在は第4クォーター終了後にゴール前25ヤードの地点から1回ごとに交互に攻守を繰り返し、どちらかの得点が上回るまでプレーを行うタイブレーク方式による延長戦で進出チームを決める。ただし、この方式になって以降、まだ延長戦が行われた事例はない)


★[甲子園球場]
通常、野球以外のスポーツには使われない球場だが、甲子園ボウル開催時には、外野のライトーレフト間を横方向に使ってフィールドが設けられる。
レフト線・ライト線・2塁ベース後方には仮設の天然芝を敷設。
かつてラッキーゾーンがあった時代は、ラッキーゾーンを囲う網フェンスを撤去した上でフィールドを使用した。

マウンド付近には、関東代表チーム用応援席とテレビ実況ブース(毎日放送)や関東代表チームのスポッター席用のプレハブの仮設スタンドが設置される。バックスクリーンには、関西代表チームのスポッター席と中継用カメラが設置される。
第60回大会(2005年)の中継では、関学大OBの濱田篤則がバックスクリーン側スポッター席からの視点で解説を行った。

余談だが、ゲスト解説にKONISHIKI(現役当時の「小錦」として。ハワイでの学生時代はアメリカンフットボールの選手でもあった)を招いた際は、建設機材を用いた特設エレベーターにてグラウンドとブースを往復させた。

なお、2007年10月から2009年3月までのプロ野球のシーズンオフ期間中に阪神甲子園球場の改修工事が行われる予定で、その間は代替の会場での開催が見込まれる。
収容能力、交通アクセス等の面から大阪ドーム等が候補と見られていたが、2006年12月16日に開かれた甲子園ボウル実行委員会において、2007年の第62回大会は大阪市長居陸上競技場に会場を移して12月16日に開催することが決定した。
大会名称については当初従来のままとされていたが、2007年10月の実施要項発表の際に「毎日甲子園ボウルin NAGAI」とされた。

改修の工期は当初2010年3月までの3年とされていたが、2006年7月の阪神電鉄の発表で、基本部分の工期は当初の3年から2年で終了する見通しになった。
これにより2009年には、新装なった球場での甲子園ボウルとなる模様である。


★[ミルズ杯]
甲子園ボウルの終了後、学生アメリカンフットボールの年間最優秀選手に与えられるのが、ミルズ杯(通称「チャック・ミルズ杯」)である。

第1回スーパーボウルに出場し、1971年以降、ヘッドコーチとしてユタ州立大他を率いて再三来日し、試合やクリニック等を通じて日本のアメリカンフットボールの発展に大きく寄与したチャック・ミルズの功績を讃えるべくその名が冠せられ、1974年から贈られている。
毎年のトロフィーはミルズ自らが私費を投じて作られている。
また、ミルズは可能な限り甲子園ボウルの際に来日し、トロフィーを受賞者に直接手渡すようにしている。
選出は1997年までは甲子園ボウルの試合終了直前に新聞記者の投票によって行われ、敗戦チームから受賞者が選出されることも過去2回あった。現在では、甲子園ボウル勝利校の所属リーグの最優秀選手に贈られる方式に変更された。


★[中学招待タッチフットボール試合]
前座の試合として、中学生によるタッチフットボールの試合が行われる。
長らく、滋賀県長浜地区の中学校の代表校を招待して、関西学院中学部と試合する対戦形式で行われてきたが、現在では後者の出場枠も関西の各府県の中学校やチェスナットリーグのチームも含めた形でトーナメント形式の予選を行って、出場チームが決定される。

今年の対戦は 長浜南中学 VS 立命館宇治中学


[過去の戦績]
回   年月日   関東代表校 スコア 関西代表校 備考
第1回 1947年4月13日 慶應大 45-0 同志社大
第2回 1948年1月1日 明治大 0-6 関西大
第3回 1949年1月9日 慶應大 14-7 関西大
第4回 1949年12月18日 慶應大 7-25 関学大
第5回 1950年12月10日 慶應大 6-20 関学大
第6回 1951年12月9日 立教大 19-14 関学大
第7回 1952年12月7日 立教大 20-0 関学大
第8回 1953年12月6日 立教大 7-19 関学大
第9回 1954年12月5日 立教大 7-15 関学大
第10回 1955年11月23日 日本大 26-26 関学大 ※1
第11回 1956年11月23日 日本大 0-33 関学大
第12回 1957年11月24日 日本大 14-6 関学大
第13回 1958年12月7日 日本大 13-12 関学大
第14回 1959年12月6日 日本大 42-0 関学大
第15回 1960年12月4日 立教大 36-16 関学大 ※2
第16回 1961年12月10日 日本大 14-6 関学大
第17回 1962年12月2日 日本大 28-24 関学大
第18回 1963年12月8日 日本大 30-18 関学大
第19回 1965年1月15日 日本大 48-14 関学大
第20回 1965年12月5日 立教大 22-22 関学大 ※3
第21回 1966年12月4日 日本大 40-12 関学大
第22回 1967年12月10日 日本大 12-31 関学大
第23回 1968年12月15日 明治大 36-38 関学大
第24回 1969年12月14日 日本大 30-14 関学大
第25回 1970年12月13日 日本大 6-34 関学大
第26回 1971年12月12日 日本大 28-22 関学大
第27回 1972年12月10日 法政大 34-20 関学大
第28回 1973年12月9日 日本大 7-24 関学大
第29回 1974年12月8日 日本大 20-28 関学大
第30回 1975年12月14日 明治大 7-56 関学大
第31回 1976年12月12日 明治大 22-29 関学大
第32回 1977年12月11日 日本大 20-51 関学大
第33回 1978年12月10日 日本大 63-7 関学大
第34回 1979年12月9日 日本大 48-0 関学大
第35回 1980年12月13日 日本大 42-7 関学大
第36回 1981年12月13日 日本大 42-31 関学大
第37回 1982年12月12日 晴 日本大 65-28 京都大
第38回 1983年12月11日 晴 日本大 14-30 京都大
第39回 1984年12月9日 晴 日本大 42-42 関学大 ※4
第40回 1985年12月8日 晴 明治大 46-48 関学大
第41回 1986年12月14日 晴 日本大 28-49 京都大
第42回 1987年12月13日 晴 日本大 17-41 京都大
第43回 1988年12月11日 晴 日本大 35-28 関学大
第44回 1989年12月17日 晴 日本大 45-14 関学大
第45回 1990年12月16日 晴 日本大 34-7 京都大
第46回 1991年12月15日 晴 専修大 20-25 関学大
第47回 1992年12月13日 雨 法政大 7-17 京都大
第48回 1993年12月19日 晴 日体大 10-35 関学大
第49回 1994年12月18日 晴 法政大 22-24 立命館大
第50回 1995年12月17日 曇 法政大 17-24 京都大
第51回 1996年12月15日 晴 法政大 21-28 京都大
第52回 1997年12月20日 晴 法政大 21-21 関学大 ※5
第53回 1998年12月19日 晴 法政大 17-25 立命館大
第54回 1999年12月19日 晴 法政大 13-52 関学大
第55回 2000年12月17日 雨 法政大 28-21 関学大
第56回 2001年12月16日 晴 法政大 6-24 関学大
第57回 2002年12月15日 晴 早稲田大 14-51 立命館大
第58回 2003年12月21日 晴 法政大 6-61 立命館大
第59回 2004年12月19日 晴 法政大 17-38 立命館大
第60回 2005年12月18日 晴 法政大 17-14 立命館大
第61回 2006年12月17日 雨 法政大 45-43 関学大 ※6
第62回 2007年12月16日 晴 日本大 38-41 関学大 ※7
第63回 2008年12月21日 法政大 VS 立命館大


※1史上初めての両校優勝
※2甲子園球場の改修工事のため、西宮球場で「毎日ボウル」として開催
※3史上2回目の両校優勝
※4史上3回目の両校優勝(ライスボウルへは日本大学が出場)
※5史上4回目の両校優勝(ライスボウルへは法政大学が出場)
※6史上初めて雷に伴う約30分間の中断(第3クォーター)を挟む
※7甲子園球場の改修工事のため、大阪市長居陸上競技場で開催予定

[出場校別の戦績]
(出場回数順、戦績の同じものは出場の古い順)

校名   出場 勝数 負数 引分
関西学院大 44 19 22 4
日本大   29 18 10 2
法政大   14 5 8 1
京都大   8 6 2
立命館大  6 5 1
立教大   6 3 2 1
明治大   5 0 5
慶應義塾大 4 2 2
関西大   2 1 1
同志社大  1 0 1
専修大   1 0 1
日本体育大 1 0 1
早稲田大  1 0 1



[テレビ放送]
甲子園ボウルが初めてテレビ中継されたのは1956年の第11回大会であった。
放送局はNHKで翌1957年まで2年間担当した。
1958年はテレビ中継が無かったが、1959年は毎日放送が中継した。
その後、暫く中継はなく1966年の第21回大会で7年振りに中継が復活した(担当は毎日放送)。
1967年から1984年まではNHKがテレビ放送を担当。
1967年からカラー放送となった。(サンテレビが同時中継していた年もある。)
1985年から毎日放送がテレビ放送を担当し、1999年まではTBS系列にて、試合当日の14時ないし15時からの2時間にわたり全国ネットで放送されていた。
試合の前半は録画で、後半を生中継する形態が多かったが、2000年より深夜枠に移動し、時間も従来よりは短縮した録画中継の形で放送されている(放送時間は24:30〜26:24)。
同局系のCS放送局GAORAでは後日に完全録画中継の形で放送されている。
2005年の中継では初めてステディカムが導入され、コイントスと直後のウォー・クライ等、選手の視点に近い位置からの映像に威力を発揮した。
2008年の中継では、GAORAとBS-iにて試合終了まで完全生中継されるが、地上波では当日深夜のダイジェスト放送は前年と同じものの、放映は毎日放送とTBSテレビのみとなり、実質的に衛星波へシフトする形となる。



冠スポンサー(協賛)は2007年までは、ハウス食品である。
以前は毎日新聞社や日清食品(1985年〜1987年まで)、三和銀行をはじめとする三和総合金融グループ(1988年〜1991年まで)、松下電器(1992〜1999年まで)が協賛だった。また、2008年には実質上の冠スポンサーである特別協賛をパナソニック電工が務めるため、「パナソニック電工杯毎日甲子園ボウル」として行われる。また、ハウス食品が昨年同様、協賛を務める。


[歴代の実況アナウンサー]
毎日放送による中継(1985年〜)での実況担当者

井上光央(初代、1985年〜?)・(1986年のみ三好俊行)
結城哲郎(二代目、?〜2001年まで)
森本栄浩(三代目、2002年〜)

[ライスボウルへの出場方法をめぐって]
前述の通り、甲子園ボウルは学生選手権、勝者は学生チャンピオンと認知されており、社会人チャンピオンと対戦するライスボウルには、全日本選手権となった1983年以降、自動的に出場できた。
しかし2006年度より、東日本学生王者決定戦(シトロンボウル)の勝者・西日本学生王者決定戦(ウエスタンボウル)の勝者と併せて、3チームから学生代表決定委員会が選定する形となった。一応は両連盟を除く各地域にも門戸を開いた形となった。
ただし、関西、関東両連盟の所属校と、他の地域の連盟所属校の間には実力差がある。
これは、シトロンボウル・ウエスタンボウルへの関東・関西連盟からの各出場校はリーグ戦でも中位以下のチームが担っている事からも明らかである(2006年現在、ウエスタンボウルは8大学のリーグ戦中6位の大学が出場)。
そのため、ボウルゲームとしての重みに違いがある。
加えて、学生代表決定委員会のメンバー、ならび大学の選定基準が不明である。

結局、2006年度は、甲子園ボウル優勝校である法政大学がライスボウルに出場した。
このような状況から、トーナメント方式の全日本選手権など、学生日本一の決定プロセスに新たな枠組みを期待する声があるのは事実である。

しかし、甲子園ボウルの現運営形態(招待試合)との折り合い、新選手権を創設する場合のスポンサー獲得、各リーグ戦運営日程への影響、出場各大学の移動費用他の新たな運営負担、上記の実力の不均衡など、解決すべき問題は多く、現状の決定方法も問題提起の域にとどまっている。

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開設日
2007年12月3日

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カテゴリ
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