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大隅正秋

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詳細 2013年4月30日 20:11更新

大隅正秋は神がかりの演出だった
大塚康生とのコンビがルパンを作った

スタート時のルパン
初めに演出のオファーを受けたのは芝山努だったが、当時『天才バカボン』の製作に加わっていたため、『TV第1シリーズ』に先んじて製作されたパイロットフィルム版の制作のみに留まる。代わって大隅正秋に演出が依頼される。製作会社東京ムービーの当時の社長藤岡豊が、大隅の演出した『オバケのQ太郎』のオープニングを気に入っていたからである。

大隅は絵が描けないため、作画監督として芝山努の元同僚、大塚康生が抜擢される。当時、東映動画に所属していた大塚は、東映を退社して東京ムービーの下請けをやっていたAプロダクションに移籍した。そして、大隅・大塚両者の話し合いでテレビ用のルパン三世や峰不二子の人物造形が決まった。

パイロットフィルムではルパンの声は広川太一郎が演じていたが、広川のスケジュールの都合上出演が難しくなり、新たにテレビ用の声優を選ぶことになった。演出の大隅が色々な芝居の舞台を見て回った結果、山田康雄が選ばれた。大隈のイメージするルパンは、しらけの世代で、祖父の多くの財宝を受け継ぎ、大邸宅に住み、物や金でアクセクせず、倦怠(アンニュイ)をまぎらわすためにときたま泥棒をし、場合によっては敵対する相手を手にかける事にも躊躇しない、という設定だった。飄々としていながら時にニヒルで、どこか暗さのある舞台上の山田は、まさに大隅のイメージするルパン像にぴったりだった。

この様な試行を経て大人向けに製作されたそれまでにないアニメであったが、視聴率は厳しいものとなる。当時、アニメは作ればたいていある程度の視聴率が取れると考えられていた時代だったが、その中で3%などといった桁違いに低い視聴率をとり、即打ち切りも仕方ない状況だった。


このため放送局サイドは、低年齢層にも観てもらえる様に作風の変更を計画することとなった。序盤とそれ以降の雰囲気が大きく異なるのはそのためである。しかし、大隅はこの路線変更を受け入れることができず、第3話のテレビ放映直後に演出を降板した。

その後高畑勲と宮崎駿の2人によってルパンは死に体となったことは言うまでも無い



(wikipediaより抜粋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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おおすみ 正秋(おおすみ まさあき、1934年 - )は演出家。旧表記、本名は大隅 正秋(読みは同じ)。兵庫県出身。

兄とともに人形劇団の神戸人形芸術劇場を主宰。人形劇出身者らが結成した東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)に参加してからはアニメの演出を手がけるようになり、その初期に活躍した。

『ムーミン』の演出を担当するが、原作からの逸脱が多いということで原作者からの不興を買い、制作会社の東京ムービーごと交代させられている。しかし、「東京ムービー版のムーミンが見たい」という日本のファンの声に原作者が折れて、「日本以外では放映しない」という条件付きで作風を大隅時代の演出に近づけた『新ムーミン』が作られた。それから約20年後、原作者のビジョンに沿ったムーミンも作られている。

『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』では前半の演出を担当、その都会的センスとスタイリッシュな映像作りにはいまだに支持者も多い。しかし、本放送時には低視聴率に苦しみ、テレビ局からの対象年齢を下げるようにとの要求を飲むことができずに第3話の放映後に降板。 その後は高畑勲と宮崎駿の現在のスタジオ・ジブリのコンビに引き継がれた。 クレジット上は4〜6話、9話、12話までが大隅の演出と表記されているが、実際には多少、高畑・宮崎二人の手が入っているものもある(放映順と作られた順番は異なる)。 逆に、7話と10、11話も、もともと大隅が残した未完成の作品にその二人が手を入れたものである。 両者の違いは「ジブリの2人がどの程度手を入れたか」であり、大隅の影響が強い作品が大隅の演出と表記され、そうでない作品には大隅の名が入っていないというだけである。 低視聴率のせいで降板することになった『ルパン三世』だったが、結局、ジブリ・コンビに代わって路線変更しても視聴率は上がらず、2クールで打ち切りとなっている。人気が出たのは、日本各地で何度も再放送された後のことである。

『ルパン三世』以降は東京ムービーと疎遠になり、日本サンライズの『ろぼっ子ビートン』『ラ・セーヌの星』、NHK『子鹿物語』、劇場アニメ『走れメロス』なども監督した。同時に、劇団「飛行船」などで、「マスクプレイミュージカル」と称する着ぐるみミュージカルなども手がけている。

1993年に放送されたTVスペシャル第五弾『ルパン暗殺指令』では東京ムービー側からの関係修復の呼びかけに応えて、監督も努めている。

目次 [非表示]
1 担当した主な作品
1.1 テレビアニメ
1.2 映画
1.3 舞台



[編集] 担当した主な作品

[編集] テレビアニメ
子鹿物語(監督)
旧ムーミン(演出(=監督)(1話〜26話))
ラ・セーヌの星
チーフディレクター(1-26話) ディレクター補佐:出崎哲(1-26話)
総監督(27-39話) 監督:富野喜幸(27-39話))
ろぼっ子ビートン(原作、監督)
ルパン三世(演出(=監督))
ルパン三世 ルパン暗殺指令(監督)

[編集] 映画
オバケのQ太郎(監督)
怪物くん(監督)
アタックNo.1 涙の世界選手権(監督)
旧ムーミン(監督)
走れメロス(監督、脚本)

[編集] 舞台
少女と魚
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%81%99%E3%81%BF%E6%AD%A3%E7%A7%8B" より作成


[編集] サブタイトル一覧
回 サブタイトル 放送日 演出 脚本 絵コンテ
1 ルパンは燃えているか・・・・?! 1971年10月24日 大隅正秋 山崎忠昭 高橋和美
2 魔術師と呼ばれた男 1971年10月31日 大隅正秋 大和屋竺 奥田誠二
3 さらば愛しき魔女 1971年11月7日 大隅正秋 宮田雪 斉九洋
4 脱獄のチャンスは一度 1971年11月14日 大隅正秋 さわきとおる 佐々木正広
5 十三代五ヱ門登場 1971年11月21日 大隅正秋 山崎忠昭 小華和ためお
6 雨の午後はヤバイゼ 1971年11月28日 大隅正秋 松岡清治 小泉謙三
7 狼は狼を呼ぶ 1971年12月5日 Aプロ演出グループ 大和屋竺 斉九洋
8 全員集合トランプ作戦 1971年12月12日 Aプロ演出グループ 宮田雪 奥田誠二
9 殺し屋はブルースを歌う 1971年12月19日 大隅正秋 さわきとおる 奥田誠二
10 ニセ札つくりを狙え! 1971年12月26日 Aプロ演出グループ 佐脇徹 矢沢則夫
11 7番目の橋が落ちるとき 1972年1月2日 Aプロ演出グループ 宮田雪 小華和ためお
12 誰が最後に笑ったか 1972年1月9日 大隅正秋 鶴見和一 小華和ためお
13 タイムマシンに気をつけろ! 1972年1月16日 Aプロ演出グループ 宮田雪 斉九洋
14 エメラルドの秘密 1972年1月23日 Aプロ演出グループ 宮田雪 岡崎稔
15 ルパンを捕まえてヨーロッパへ行こう 1972年1月30日 Aプロ演出グループ 松岡清治 小華和ためお
16 宝石横取り作戦 1972年2月6日 Aプロ演出グループ 七條門 出崎哲
17 罠にかかったルパン 1972年2月13日 Aプロ演出グループ 七條門 斉九洋
18 美人コンテストをマークせよ 1972年2月20日 Aプロ演出グループ 松岡清治 小華和ためお
19 どっちが勝つか三代目! 1972年2月27日 Aプロ演出グループ 小山俊一郎 棚橋一徳
20 ニセルパンを捕まえろ! 1972年3月5日 Aプロ演出グループ 七條門 小華和ためお
21 ジャジャ馬娘を助けだせ! 1972年3月12日 Aプロ演出グループ 松岡清治 高橋春男
22 先手必勝コンピューター作戦! 1972年3月19日 Aプロ演出グループ 宮田雪 小華和ためお
23 黄金の大勝負! 1972年3月26日 Aプロ演出グループ 田村多津夫 吉川惣司

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