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源義経チンギスハン同一人物説

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詳細 2024年4月9日 19:56更新

日本の悲劇の武将、九郎判官【源義経】。彼とモンゴルはおろか中国から東ヨーロッパまでを制服した、人類史上空前のスーパーヒーロー【チンギス・ハーン】!!

彼らふたりが同一人物であったという説があるのをご存知ですか?
出羽の国(現在の秋田県と山形県)にて自害したことになっていますが、そうではなく北海道に逃れ、アイヌたちの王になり、樺太を渡って、モンゴルに移り、チンギスハーンになったというものです。

この説を皆で語り合いましょう。証拠は数多く挙がっており、世界中の歴史家に認められ、歴史の通説となるときが必ずやってきます。

遊牧民族・騎馬民族というのは、その長になることは、氏・部族長らによる君主推戴・承認制度と血統君主位継承制度で選ばれ、けっして同民族だけで選ばれたばれたわけではありません。外国人がかなり関与しました。両者の間に原則的な矛盾を孕みつつ、併設的に行われており、匈奴の時代からチンギス・ハーンの時代まで殆ど改変される事なく続いたのです。「「騎馬民族国家」99P(日本古代史ヘのアプローチ)中公新書」

東京外国語大学名誉教授の「岡田英弘」氏によると、【1195年ケレイトのオン・ハーンとその部下のチンギス・ハーン(このときはテムジン)は、金と同盟しタタール人に大規模な征伐作戦を行い、金から恩賞を受けている。これがはじめて歴史に登場した事件であり、これ以前のチンギス・ハーンの事跡ははっきりとは判らない。(歴史群像シリーズ『チンギス・ハーン』)】
ということになっており、チンギス・ハーンの前半生はよく判っていません。

この室町の判官びいきは、早くも南北朝時代から室町時代初期に成立したと考えられる軍記物語『義経記』にあらわれており、新井白石や水戸光圀などにより蝦夷とよばれる北海道へ移住したのが指摘されています。

ソ連時代の言論統制でチンギスがモンゴル人であることや、モンゴル建国の父であったという事実は1989年までモンゴル国民に知らされておらず、【同一人物説を研究する見解や伝統もない】という反対者の意見は当たり前の話で、本格的なチンギス・ハーンの研究はこの年からです。

学者の否定の根本は彼以前の系譜でですが、文字を持たず、文字による記録がないことと口伝であるため、時の権力者に編成された可能性もあり、中国の文献にもその答えが正しいかどうか比較検討も出来ません。どの資料もカブル・カン→バルタン・バアトル→イェスゲイ・バアトル→テムジン(チンギス・ハーン)という流れは共通して記録していますが、逆に言えばその前は一致しておらず、完全な証拠とは云えず、まして判明しているなどとはとても言えません。

世界の常識はチンギスハーンの系譜については『よく判っていない』というのがどの国も共通の認識なのです。しかし、一部のエセ歴史学者がもう系譜は判明している、などとしていますが、それは真っ赤な嘘です。調べていただければ判りますが、彼の幼少の頃からの青年になるまでの期間は、謎に包まれており、特定できず、まして系譜が判明しているなどとは、絶対にありません。『光の子供』などの抽象的表現や、釈迦と先祖が繋がっている、などの有り得ない伝承もあり、信用できるに足らず、世界の常識ではよく分かっていない、というのが、通説です。たとえば日本のモンゴル史研究の第一人者の吉田氏が、「日本で言えば『古事記』にあたる」というように、伝承として扱うに尽きるとし、「身元」を検証できるような他の史料は皆無だと断言しています。http://www.waseda.jp/jp/journal/2007/0801_07.pdf
 
また『元史』や『蒙古史』ではキヤト氏、ニロン族(ニルン族)の記述がありますが、アジア史の先生たちはこの説明がまったく出来ません。キヤト氏とボルジギン氏の違いを説明できないどころか、ニロン族に関してはまったく説明が出来ません。都合の悪いところ、説明できないところは無視し、「系譜があるのだから間違いないだろう」、その一点だけが彼らの主張なのです。そのためには反対勢力を力で無理やり抑えるのです。キヤト氏=京都出身、ニロン=日本、がどうやら真実のようです。

容姿についてはイギリスの文献では大柄ということになっていますが、チンギスの死亡時期、あるいは死後の時期となる面会での印象を語っており、チンギス・ハーン本人であると確認できず、信用できません。これは部下のひとりと思われます。
モンゴル政府公認の肖像画では小柄な老人の姿がチンギス・ハンとされており、義経と直感できます。またラシード・アッディーン編纂の『集史』では一貫して小柄なチンギス・ハンの姿が描かれています。「太祖実録」を基として後世、漢人王朝によって書かれた「太祖本記」や「聖武新征録」は小柄としています。

最近は義経は平泉で死んでおらず、東北へ逃亡したのではないかという学説に傾いています。従来の学説では藤原泰衡の打ち首のミイラがなぜ中尊寺の廟に安置されていたかなど、説明ができないからです。
1982年頃の百科事典では同一人物説は否定されていますが、最近は「よくわからない」『伝説も生まれた』という表現になっています。狼や光の子という伝承は遊牧民全域で他民族で伝承されており、これはモンゴル高原全土の口伝をまとめたものであり、まったく信憑性がありません。

日本人の考古学者たちが、血眼になってチンギスの墓を探すのは、もちろん同一人物であるという証拠を見たいがためでしょう。

また、生年も曖昧で、30歳位までの空白期間があり、何をしていたのか、誰も明解に説明できません。モンゴルに『イチン=〈源〉』という名前が多いことや、源氏の紋章を表す〈笹りんどう〉などの状況証拠は数多く、否定派は、科学的に論証が出来ないので、無視を決め込んでいるのが、本当のところです。

長年義経は清和源氏なので、村上源氏である『笹りんどう』を用いるわけがない、と言われてきましたが、近年清和源氏の流れである河内源氏であることがわかり、蒙古の『笹りんどう』の家紋と関わりがある可能性が出てきました。河内国石川郡発祥の石川氏は、源氏義家(清和源氏)の子・義時を祖とし、代々石川郡を本拠とした石川氏の家紋が、【石川竜胆】という紋である。文献としては、【羽継原合戦記:はつぎはらかっせんき】にも見ることが出来ます。

笹竜胆は、村上源氏(六条・久世(くぜ)・岩倉・千種(ちぐさ)・梅渓(うめたに))以外に宇多源氏(綾小路)も使用していますし、平氏流の坂部も使用がみとめられます。義朝の子の源頼朝が、平氏を倒して鎌倉幕府を開きますが、源氏のて嫡流は頼朝の子の実朝(さねとも:清和源氏)の代で途絶えてしまいます。この源氏の嫡流の家紋が、【笹竜胆】です。

だから、清和源氏でも【笹竜胆】の紋は用いていました。
http://www.mmjp.or.jp/tajimamori/sub29.htm

参考:「家紋と家系」事典:丹羽基二・著書 / 知っておきたい日本の名字と家紋:武光誠・著書

否定説がまた一つ翻ったのです。

参考:
ジンギスカンは源義経なり:http://www13.ocn.ne.jp/~t-adachi/no_1.htm
ウィキペディア義経=ジンギスカン説:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E7%B5%8C%3D%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%B3%E8%AA%AC
エレクトリックジャーナル:http://electronic-journal.seesaa.net/category/510434-1.html
義経北行説を検証する:http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai21-Yoshitune.html
義経・ジンギスカン説を追う:http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai22-Jinngisukan.html
漫画遊牧民部族:http://www.juno.dti.ne.jp/~tenchi/DETA/kaisetu/kaisetu%20buzoku.htm
漫画解説:http://www.juno.dti.ne.jp/~tenchi/DETA/kaisetu/kaisetu%20top.htm
世界を作った男;堺屋太一;http://www.nikkei.co.jp/novel/
年表:http://www.geocities.jp/yasunobuogawa/Chinggis_Khan_1.htm
成吉思汗:http://www.geocities.jp/shokatusei/chengjisihan/
義経北行伝説http://www.dab.hi-ho.ne.jp/namahage/mistery/mist_forth.htm

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