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キ−100 五式戦

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詳細 2024年1月11日 00:15更新

五式戦闘機 キー100
米軍コードネーム:無し
開発の経緯

キ61(三式戦闘機・飛燕)は、もともと機体構造が頑丈で、主翼形状も高高度戦闘に向いたものであったことから、来襲が予想されていたB-29に対する高高度迎撃機として期待され、液冷倒立V12気筒エンジン「ハ40」の出力向上型である「ハ140(離昇出力1,450馬力)」を搭載したキ61-II改の開発が進められていた。昭和19年8月には審査が完了し、直ちに三式戦二型として生産が開始された。

しかし、ドイツ製ダイムラーベンツエンジンの国産化であるハ40は、当時の日本の技術では製造・メンテナンスが難しく、更に戦況の悪化から粗製乱造が目立ち始め、昭和19年頃には生産が滞る事態となっていた。まして新型でより複雑なハ140の生産遅滞の状況は深刻で、せっかくの新型機も、エンジン未装備の「首無し」機体が、ピーク時の昭和20年1月には230機ほども工場内外に並ぶという異常事態となった。

こうした事態はすでに前年からある程度予測されており、昭和19年4月には陸軍より川崎に対して、キ61-IIの空冷発動機換装の予備研究が提案された。自社製の液冷発動機を捨てることに抵抗感を示していたのは、むしろ川崎側だった。現実に首無し滞留機が出現し始めた昭和19年10月、軍需省よりキ61-II首無し機に三菱ハ112-II(離昇出力1,500馬力)を装着すべく換装命令が出され(この時、他のエンジンも候補に挙げられたが、生産に余力があること、さらにハ140と同等の性能を持っていることが勘案された)、陸軍はこれに「キ100」の代用名称を正式に付与した。これが本機の生い立ちである。


五式戦の実態

五式戦は稼動率が高いといわれているがそれは幻想に過ぎない。保用部品の不足などもあったのだが、59戦隊における7月10日の時点で48%に過ぎないのだ。

発動機の稼動率が良くないのが原因である。海軍の金星系統は稼動率が高いため陸軍の水噴射付きのハー112-2も良好であろうと判断されてきた。しかし、それは低馬力型の型のみが当てはまるのであり、チューンタイプといえる離陸出力で1500馬力を発揮する水噴射の2型の稼動率が高いなどとは到底いえない。

ハー45(誉)が小直径、高馬力を目指して気難しい発動機になってしまったため、大直径で1500馬力程度にすれば良かったとする人が多い。だが、上記条件に合致するハー112-2。更に信頼性が高かった筈の寿十四気筒版を積んだ二式単戦のハー145も上記にあてはまるにも関わらず低稼動率なのを見るとそんなに単純な問題でないのが伺えよう。
しかもこの五式戦を使用した部隊、高評価を下した人々を見れば明らかに軽戦至高の分類なのが理解できよう。
この言葉が軽戦至高病を示していている。「九七戦を高性能にしたような、ぴったりくる感じで、空冷エンジンだから非常に安心感があった」。
大戦末期に一式戦など旋回性能の高い戦闘機では太刀打ちできないと言われているにも関わらず、なぜ九七戦が引き合いに出されるのか?

五式戦の旋回以外に上昇能力を誉め讃える意見もあるが、鬼のような上昇性能と加速性能を誇る二式単戦(Fw190A5と同等なのが確認されている)が嫌われた理由に旋回性能が悪いのを嫌う傾向が強いのが伺える。
五式戦は降下速度が早いとされているが、肝心の降下加速はP-40に劣る三式戦以下である。五式戦に四式戦のように降下でP-51を追尾、回避したことはない。


 所詮この戦闘機が持ち上げられたのは紫電改同様日本側の戦果を鵜呑みにされ、参戦期間も短く化けの皮が剥がれきってなかったからといえよう。

戦歴・実戦果

6月3日、244戦隊は五式戦を装備し薩摩半島でF4Uを迎撃し、7機撃墜を報じたが、3機を失った。対戦相手の第85爆撃戦闘飛行隊の喪失は1機のみ。

6月5日、明野教飛師の五式戦が250機あまりのB-29を迎撃した。体当たりなども行い撃墜6機、不確実撃墜5機を報じ、2名が体当たり後未帰還、1名が膝を半分吹き飛ばされる大怪我を負った。
低空で侵入したB-29は11機が失われた。3機が対空砲火で3機が硫黄島に不時着。4機あまりが戦闘機との交戦により失われた。

6月22日、特攻機援護で目標空域に達したところでF4Uに攻撃され2機撃墜され、五式戦のスピードでは追跡不可能だった。

7月16日、明野教飛師の五式戦が伊勢湾上空でP-51Dと交戦し、檜大尉(コミュニティの写真)の撃墜1機などを含み、撃墜破11機を報じたものの、5機が撃墜された。対戦相手の第457戦闘飛行隊は1機を失い、4機が損傷したのみだった。対戦した米軍パイロットは「個々の戦闘は出来る連中だったが、統率がとれていなかった」と回想している。

7月25日、244戦隊の五式戦30機は八日市で10機のF6Fを優位な位置から攻撃をかけて撃墜10機、撃破3機を報じたが1機がF6Fに衝突、1機が撃墜された。対戦相手の第31戦闘飛行隊所属F6Fの10機は日本機と交戦し、撃墜8機、不確実撃墜3機、撃破3機を報告し、1機が空中衝突し、1機が撃墜された。

8月10日、70戦隊と18戦隊が関東においてP-51を迎撃した。70戦隊は二式単戦喪失2機(戦死、落下傘降下)。18戦隊は五式戦2機喪失(戦死/離陸失敗、落下傘降下)、1機被弾不時着、被弾機多数。米軍に損失はない。
8月14日、熊本で五式戦装備の59戦隊はP-51に攻撃され1機撃墜を報じたが、2機を失った。この方面で空戦により失われたP-51はないが、第507戦闘航空群のP-47Nが三式戦との空戦により撃墜されたとしている。
この時に撃墜を報じた緒方尚行大尉にとって5機目の戦果となり、日本陸海軍最後のエースパイロットとなった。

どうだろうか救世主といわれた五式戦は?様々な不手際はあったものの勝利どころか、ただの一度も互角の戦いすらできていない。これこそが五式戦の実力である。五式戦を早くから量産して本来ならこれを四式戦にすべきだったとする意見を未だに多く見かける。
仮に五式戦が早く量産されていれば大陸でP-51B/C、P-40N相手に交戦していた。
この時期の米中空軍は非常に強力であり四式戦も苦戦気味。
降下で逃げても、追い付かれ、余力上昇においても両者に劣る五式戦。しかも旋回戦にしても相手が応じてくれればいいがこの頃の敵はそれを避けおり、低翼面荷重のため降下加速も悪い。
結果的に降下、上昇を反復されクルクル逃げ回る以外手立てがない。
しかも仮に44年中に五式戦が量産されていればハ-112でも低出力型しかないため、元から遅い最大速度で20km/h、上昇能力でも更に低下する。
五式単は比島においても速度、上昇能力、降下加速に優れるP-38L相手に一式戦と三式戦同様一方的な攻撃を受け大敗北を喫するのはいうまでもない。速度が表記より遅いため水増しスペックと言われているF4Uにも追い付けない。所詮は欠陥戦闘機であった三式戦のリユースに過ぎない。

よく考えてみれば三式戦自体も3000機生産された割に実戦果は最低な次元である。1200機程度しか生産されず、ろくな改修されなかった二式単戦以下である。川崎製の三式戦と五式戦はズバリいえばろくな戦闘機でなかったにも関わらず、日本側の評価は的外れな程高評価な傾向が強い。

三式戦の活躍は漫画の中でしか見たことがない。P−38を陸軍機でもっとも撃墜したとされているが連合軍の記録にそのような事実はない。むしろ降下して逃げられる筈がP−40に食いつかれて撃墜されている場合までもある悲惨な戦闘機である。

三式戦闘機は一式戦闘機よりも旋回能力、上昇能力と航続距離に劣り、水増しスペックのため最大速度も実際は遅く、降下速度と降下加速度は一式戦よりましだがP-38、40に劣り、MG151を搭載したのも遅すぎて意味がなく重量増のため旋回性能でさえもP-40に劣る。陸軍史上最低の戦闘機である。

九七戦や一式戦など速度、エネルギーを活かせない戦闘機がなぜ駆逐されたのか根本的に忘れられている。五式戦をもってすれば絶対不敗でなく、絶対不勝が真の姿だ。


最終更新
10年8月31日

五式戦が好きな方は参加願います。正直な所飛燕同様五式戦は実戦果と良いところについて語れる箇所が大変少ない戦闘機ですが、頭デッカチ戦闘機として特徴的です。
参加はお気軽にどうぞ♪

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開設日
2007年11月12日

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