〜「 花 喰 鳥 」〜
京都祇王寺庵主 高岡智照尼の自叙伝。
昭和59年、彼女の88歳の誕生日に、かまくら春秋社から出版されました。今は残念ながら絶版となっているようです。
彼女の自伝から、彼女の人生を感じ取ってみたいと思います。
(※瀬戸内寂聴の「女徳」のモデルではありますが、瀬戸内寂聴の
フィルターを抜きにして見ていきたいコミュです。)
明治29年4月22日 大阪に生まれる。
明治41年 大阪宗右衛門町の「加賀屋」から八千代の妹分、
千代葉の名で舞妓となる。
明治44年 東京新橋の「新叶家」から照葉と改名して半玉と
なる。
大正 4年 妓籍を去る。
大正 8年 大阪北浜株式仲買人 小田末造と結婚
〃 夫と共に渡米、約1年間ニューヨークに滞在
大正14年 離婚
昭和 4年 奈良に隠棲、高浜虚子「ホトトギス」門下に入る
昭和 9年9月 奈良県畝傍町の久米寺にて出家、得度亮弘坊智照
と改名
昭和11年7月 京都大覚寺塔頭祇王寺に入庵
平成 6年10月22日 98歳にして示寂(99歳という話も)
色街の水につかり、愛欲と酒におぼれた生活。
妾、結婚、離婚、同性愛、年下男との同棲・・・
39歳で出家し、僧籍となった彼女の胸に去来した思いは、慙愧と
自己嫌悪の念であったと、「花喰鳥」冒頭に寄せられています。
『 「愚かな女の一生」の全てを隠し立てすることなく赤裸々に告白
して死んでいきたい。そして閻魔大王の前を恐れず、あの世への
関所を無事に通らせていただきたい・・・・・・』
彼女の、自分の人生への逃げも隠れもしない姿勢、そして潔さの
ようなものを感じました。
彼女の波乱万丈な人生に心惹かれた方、いらっしゃいましたら
ぜひどうぞ。
最後に。
今も彼女は落飾した際の自分の黒髪とともに、祇王寺の片隅の
「黒髪塚」に静かに眠っています。
奔放に生きし過去はも遠花火 智照
※女の性(さが)ゆえに波乱万丈に過ごした人生を出家した後、
関わった男性達の菩提を弔いながら後年を過ごした女性として、
「後深草院二条」も挙げられると思います。
(同管理人のコミュです)
よろしければどうぞ。