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ホセ レネ イギータ ザバタ
愛称 ロッコ
レネ・イギータ(José René Higuita Zapata、1966年8月28日 - )は、コロンビア・メデリン出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。長髪に髭をたくわえた独特の風貌でカルロス・バルデラマとともに長らくコロンビア代表のシンボルともいえる存在だった。また1989年にはナシオナル・メデジンの一員としてトヨタカップにも出場、当時全盛だったACミランと対戦している。
そのプレースタイルの特徴はなんといっても大胆な飛び出し。イギータが頭角を現した1980年代末、キーパーは手でボールを扱うのが当たり前だった。そんな時代にゴールを空け、エリア外でスルーパスをカットするイギータ。これによってDFラインは大胆に押し上げ、プレスやオフサイドトラップを積極的に仕掛けることができた。時にはドリブルで敵を抜き去り、センタリングまで上げる。二一世紀のキーパーとさえ言われた。ホルヘ・カンポスやチラベルトといった攻撃的なゴールキーパーの先駆けでありながら、彼以上に攻撃的なゴールキーパーは未だ現れていない。
しかしこのスタイルは時に諸刃の剣となり、1990年ワールドカップイタリア大会の決勝トーナメント1回戦・カメルーン戦ではカメルーンFWロジェ・ミラをドリブルでかわそうとして逆にボールを奪われ、そのままゴールされるという大失態を犯している。シュートの瞬間真後ろからミラの足めがけてスライディングにいったことも含め批難を受けたが、本人は「まったく後悔していない」とコメントした。
キーパーとしては小柄で技術も凡庸なものだが、けだものじみた反応と勘の鋭さとでそれを補った。
またPKを蹴るキーパーの元祖とも言われており、逆にPKを守る場面でも絶対の強さを誇り、PKに関してはレフ・ヤシン以上とさえ言われる。
そのサッカー人生もプレースタイル同様浮き沈みが激しく1994年ワールドカップアメリカ大会でも活躍を期待されたがマフィアがらみの誘拐事件に巻き込まれ逮捕される。これはえん罪であったが出場をふいに。イギータを失ったコロンビア代表はまさかの予選敗退、それがアンドレス・エスコバル射殺事件の引き金となってしまう。
そして1995年9月、イングランド代表との親善試合で見せたセービングは今も語り草となっている。イングランド代表MFジェイミー・レドナップが放ったループシュートに対しイギータは両足を揃えて飛び上がり、海老反りになってかかとで蹴り出したのだ。まるでサソリの尾のようなその形状から自ら「スコーピオン」↓↓
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と名付けご満悦のイギータだったが、イングランドの監督に「うちには手でセーブするキーパーがいるからイギータのような選手は必要ない」と言われ、実際に映像を見ても手でキャッチできる高さをボールは飛んでいる。
2004年、コカイン使用でクラブを解雇され、浪人生活に。その間テレビ番組の企画で整形手術を施すなど話題を振り撒いていたが2007年、エクアドルのクラブと契約を結び、40歳で現役復帰。
ミジョナリオス(コロンビア)1985
ナシオナル・メデジン(コロンビア)1986-1992
レアル・バリャドリード(スペイン)1991-1992
ナシオナル・メデジン(コロンビア)1994-1997
ベラクルス(メキシコ)1997-1998
インデペンディエンテ・メデジン(コロンビア)1999-2000
レアル・カルタヘナ(コロンビア)2000-2001
アトレティコ・フニオール(アルゼンチン)2001-2002
アウカス(エクアドル)2004
グアロス・デ・ララ(エクアドル)2007-