幼少期は兄・貞固(のちに府立一中・一高・千葉医専を経て淀橋で外科医開業)と共に、父・潜が学校長を務めることになる攻玉社幼年科で学び、東京府立一中を経て、海軍兵学校へ進む。後年内閣総理大臣を務めた米内光政は、海軍兵学校の同期生である。
海軍省軍務局、人事局勤務を経て、戦艦・霧島艦長。1928年12月には人事局長就任。以後、艦政本部長、海軍次官、呉鎮守府司令長官、軍事参議官など要職を歴任。
1939年予備役編入後、明治神宮宮司を経て、1944年9月から1946年5月まで侍従長を務めた。終戦後の1945年9月27日、昭和天皇に付き従い、虎ノ門の米国大使館でのマッカーサーとの会見に同行。会見後の予定になかったマッカーサーの御見送りや、帰りの車中での天皇の御機嫌の良かったことから、その後の皇室の安寧を確信した。
2005年にロシアで公開された「太陽」(アレクサンドル・ソクーロフ監督作品)に登場する佐野史郎が演じた侍従長は、時代からしても彼のことだと思われる。