2011年 FC鈴鹿ランポーレ監督。
高木 成太(たかき なりた、1977年4月5日- )は、長崎県出身の元サッカー選手。
キャリア後半はDF登録でであったが本来はMFであり、J1、J2では主にボランチで起用された。
1994年長崎県立国見高等学校に入学し、1995年、1996年と冬の選手権に出場するもともに3回戦、2回戦での敗退で優勝経験はない。 同級生には船越優蔵、松本磨などがいる。
ブレイズ熊本所属時にASAYANのJリーガーオーディションにより注目を浴びるも落選。しかしこれがきっかけのひとつとなりヴェルディ川崎に入団した。
横浜FC草創期のメンバーで、JFLからJ2への昇格を果たした時の中心選手。
2005年天皇杯3回戦で横浜FCと三ツ沢球技場で対戦した際、横浜FCサポーターから大きなブーイングを受けた。 また、試合終了後には三浦知良とユニフォーム交換もしている。
2006年12月16日、自身の公式ファンサイトにおいて2007年1月13、14日の東海社会人トーナメントを最後に引退を表明。
2007年1月13,14日、鈴鹿スポーツガーデンで行われた東海社会人トーナメントでM.I.E.ランポーレFCの東海社会人リーグ昇格を果たし、プロ選手としてのキャリアを終了する。
なお東海社会人トーナメントの結果は、13日のFCゴール(愛知県1位)は4-0、14日のヤマハ発動機(静岡県1位)は1-0で勝利した。
2007年2月20日横河武蔵野FCユースの監督となったが、同年4月5日(本人の誕生日)監督を辞している。
1994-1996年 長崎県立国見高等学校サッカー部
1997年 ブレイズ熊本
1998年 ヴェルディ川崎(J1)
1999-2001年 横浜FC(JFL→J2)
2002年 東京ヴェルディ1969(J1、レンタル移籍)
2003年 横浜FC(J2)
2005年 FCホリコシ(JFL)
2006年 FC岐阜(東海社会人リーグ1部)
2006年 M.I.E.ランポーレFC(三重県1部リーグ、12月15日に移籍)
Jリーグ成績
J1 14試合 0得点 東京ヴェルディ1969
J2 65試合 3得点 横浜FC
カップ戦 10試合 0得点
天皇杯 5試合 2得点
(Wikipediaより[一部抜粋])
2008年12月 NSP CLUBにて正式に現役復帰宣言
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