いまなお体に残る刺青…。
大嶋は元ヤクザだった。
16歳のとき傷害事件を起こして入れられた少年院。その暗い独房の中で自問自答を繰り返した。
「自分はこのままでいいのか」と。
少年院を出るとヤクザから足を洗った。そして、プロボクサーになるため皮膚を移植し、刺青を消した。
プロ生活8年目、2005年8月4日。大嶋に日本タイトル獲得の最後のチャンスが訪れた。
しかし結果は4R1分57秒TKO負けに終わった。
と同時に、彼のボクサー人生にも終止符を打った。
試合前、極度の緊張、不安と今までに見たこともない大嶋が控え室にいた。
負けたら引退することを表明し、リングに上がった。
タイトルマッチが決まってからも、リングが遠くに感じていた。
「もうボクシングはやりたくないんだ」
いろいろな苦しみから出たひとことは、とても重かった。
1Rバッティングで右目の上を切り、流血する。
幾度となく受けるパンチで、顔面が晴れ上がるが、真っ赤な血が苦渋の表情を隠す。
4R、ロープ際に追い込められてスタンディングダウンを獲られる。
レフリーのカウントダウンの声は大嶋にどうのように聞こえたのだろうか。
その後、ロープ際から逃れることなく、レフリーストップがかかった。
最後に持てる力は、マットに沈まないように踏ん張る足に注がれ、パンチを繰り出す余裕はなかった。
真っ赤な血がだらだらと流れ続ける。
リングとの決別の涙のように。
傷をふさぐために、タオルを巻いた頭を深々と四方に頭を下げ、リングを降りた。
「これ以上、ボクシングをやって、応援してくれている人たちを裏切ることはできません。ボクシングをやっていたおかげでかけがえのない人たちに出会えたことに感謝します。 今まで本当にありがとうございました。 大嶋宏成」
その後、網膜剥離の手術のために入院し、さらに経過が思わしくなく、再入院となかなか思うように次のステップを踏み出せずにいた。
11月11日にシャイアン山本ボクシングジムが上井草にオープンし、いよいよ本格的に始動した。
大嶋宏成は名刺を差し出した。
肩書きはシャイアン山本ボクシングジムマネージャーとなっていた。
自分が見た夢を後輩達に託し、新しい担い手を育てる仕事だ。
山本会長が大嶋を育てたように、今度は大嶋が後輩達の面倒を見る。。。