餘慶寺(余慶寺・よけいじ)・豊原北島神社のコミュニティです。餘慶寺は岡山県瀬戸内市邑久町北島にある天台宗寺院。中国三十三観音霊場第2番札所。地元では山号の上寺山(うえてらさん)で呼ばれることが多い。
[沿革]
寺の縁起によれば、天平勝宝元年(749年)に報恩大師により開かれたという。当初は日待山日輪寺と称され、報恩大師建立の備前四十八ヶ寺の一つとして栄えたという。報恩大師(? - 795年)は、備前国津富郡波河(岡山市芳賀)の出身とされる半ば伝説的な僧で、岡山県下の古寺の多くが報恩の開基伝承をもつ。
一時、衰退したが平安時代になり円仁(慈覚大師)が再興し本覚寺と改められた。その後、近衛天皇の勅願所となり現在の上寺山餘慶寺となった。
室町時代には浦上則宗の信仰を得、戦国時代には宇喜多氏の保護、江戸時代には岡山藩主池田氏の庇護の元で栄えた。
かつては7院13坊の塔頭(たっちゅう)を数えたが、今日でも恵亮院、本乗院、吉祥院、定光院、明王院、圓乗院の6院がある。豊原北島神社が隣接しており平安時代に発展した神仏習合の形態を今に留めている。
現在、年末には境内がライトアップされる。
[重要文化財(国指定)]
・本堂 - 入母屋造、本瓦葺き。永禄13年(1570年)建立
・木造薬師如来坐像(薬師堂)平安時代。坐像で像高182cmの大作であるが、頭体の主要部を一材から彫出する一木造である。全体に太造りで、頭部が大きく、額が狭く、膝が厚い点などに平安初期彫刻の作風がうかがわれるが、制作は10世紀頃と推定されている。中国地方の仏像中、屈指の優作である。
・木造聖観世音菩薩立像(薬師堂) - 平安時代
[岡山県指定重要文化財]
・三重塔 - 文化12年(1815年)建立
・鐘楼 - 嘉永3年(1850年)建立
・木造十一面観世音菩薩立像(薬師堂) - 平安時代
[豊原北島神社]
豊原北島神社(とよはらきたじまじんじゃ)は、餘慶寺の東に隣接し神仏習合の形態を今に留めている神社である。
[沿革]
舒明天皇6年(634年)より、この地に鎮座し比?大神を祀ったのが起源と言われる。 源平合戦の後、佐々木盛綱が藤戸の戦いでの先陣の功を感謝し、色々威大鎧(いろいろおどしおおよろい)をと、杏葉文轡(ぎょうようもんくつわ)を奉納したとされる。
色々威大鎧は国の重要文化財、杏葉文轡は岡山県指定重要文化財に指定されており、社宝となっている。
本殿は大正8年(1919年)に再建され、拝殿・幣殿・釣殿は昭和14年(1939年)に改築された。しかし、平成14年(2002年)に本殿以外を失火により焼亡した。拝殿・幣殿・釣殿が平成18年(2006年)に再建された。
[祭神]
応神天皇、神功皇后、比?大神
[山号]
上寺山(うえてらさん)
[宗派]
天台宗
[本尊]
千手観世音菩薩
[創建年]
天平勝宝元年(749年)
[開基]
報恩大師
[札所等]
中国33観音霊場 第2番札所
[ご案内]
ご納経の申し込み等は、餘慶寺納経所で受け付けています。お気軽にご利用下さい。
納経時間:8:00〜17:00
天台宗、余慶寺、に関するご質問はメッセージ下されば、解る範囲でお答えいたします。
[所在地]
〒701-4232 岡山県瀬戸内市邑久町北島1187
TEL:086-942-0186(8:00〜17:00)
FAX:086-942-0187
位置 北緯34度39分15.96秒 東経134度3分41.04秒
[アクセス方法]
電車の場合
JR赤穂線大富駅下車 約2km,バス・タクシー
なし、徒歩約25分
JR赤穂線西大寺駅下車 約4km,バスなし、
タクシー約10分
車の場合
岡山ブルーライン瀬戸内ICより西へ約10分
岡山ブルーライン西大寺ICより約5km,約10分
2号線浅越ICより約5km,約10分
〜境内駐車場(無料)をご利用下さい。
お手洗いは境内入り口にあります。〜
[餘慶寺ホームページ]
http://