20代にいくつかのバンドを経験し、演劇を専攻した大学卒業後は、大道具方となりハリウッドの劇場で舞台装置を製作に携わる。その後独立し、家具製作、仕上げ大工の仕事をし、同時にダストブラザーズの仕事も手伝う。
ビースティボーイズとの出会いもその頃。マークラモスニシタ当時29才。ビースティボーイズがセカンドアルバム「ポールズ・ブティック」(89年)制作当時住んでいたLAの家。その門を、マイク Dが車で突っ込んで頻繁に壊していた。その修理にと、このアルバムのプロデューサーであるダスト・ブラザーズの紹介で、大工として雇われたのがきっかけだった。修理が終わったところにちょうどメンバーが通りかかり、たまたま話しをして、そこからつき合いが始まった。本人曰く、修理があと2,3分早く終わっていたら俺はさっさと道具を片づけて家に帰り、ビースティボイーズと永遠に出会うことはなかった、とのこと。
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