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CHICANO LUV!!!!

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詳細 2023年1月26日 21:50更新

チカーノ(Chicano)は狭義にはメキシコ系アメリカ人の2世以降を指すとすることもあるが、1世も含めることが多い。また実際にはメキシコを出自としながらメキシコにそのアイデンティティーを求めず、スパニッシュアメリカンと自称するメキシコ系アメリカ人も存在する。概ねカリフォルニア州等メキシコとの国境にある州に住んでいる。南カリフォルニアで自動車産業に従事し、ローライダーと呼ばれる独特の生活様式を営んだ。

【語の由来】
この語の起源の説明としては、まず、18世紀に現アメリカ合衆国領の西海岸に現メキシコ領チワワ州からやってきた商人達を「チワワのメヒカーノ」としていたのを略してチカーノという語が出来たという説がある。
あるいは、19世紀後半にアメリカ合衆国が現在のサウスウエスト諸州を領土とするにしたがってこの地域に移住してきたアングロサクソン系の人々が、自分に比べて体格の劣るメキシコ人達を小さな足と言う意味の「パタ・チカ」と呼んでいたのが転訛したという説もある。
他の説としてチカーノという言葉はメキシカン(スペイン語ではメヒカーノ)を略したともされるがはっきりした語源は定かではない。この説によると、チカーノは20世紀はじめにメキシコ系労働者たちを指してその雇い主が使った軽蔑語として始まり、その後メキシコ本土にも低所得者を指す言葉として広まった。
以上のように語の起源についてははっきりしないが、1960?70年代にメキシコ系アメリカ人が起こした文学的及び政治的運動においてチカーノは民族の誇りを示す言葉となった。というのも彼らはこのころに一民族としてのアイデンティティーを持ち始めたからである。

【チカーノ文化】
ヒスパニックの項でも触れられているように人種的な多様性を持っているチカーノ達だが、生活様式においてもそれほど一貫性はない。低所得層に関しては概ね黒人達と交流を持ち、同様の文化を持つ。例えば、カリフォルニア州南部のロサンゼルス・サンフランシスコなどではギャングスタとなるものが多く、あるチカーノギャングはクリップスやブラッズと並ぶ第三のギャング勢力となっている。チカーノ・ギャングスタの特徴としては、頭を丸め、口髭を伸ばし、サングラスをかけているものが多い。近年日本でも、このチカーノスタイルの若者が増加傾向にあり、CDショップではチカーノラップのコーナーを設けたり、大手のコンビニではローライダーの専門誌を販売しはじめている。

【チカーノの語義を再定義した人々】
ルーベン・サラサール
マルコス・サンチェス・トラキリノ




【チカーノラップ】

概要
概ねギャングスタ・ラップ、特にドクター・ドレーやウォーレンG等のGファンクに影響を受けた音楽性であるが、黒人たちのギャングスタ・ラップとの相違点を挙げると、まず第一にオールディーズネタの多用があげられる。ローライダー文化の中で連綿と受け継がれてきたオールディーズ愛好の伝統は80年代のチカーノラップにも受け継がれ、オールディーズをサンプリングした曲を使うチカーノ・ラッパーが多い。もうひとつには、当然のことだが、彼等の大部分がスペイン語話者であることがある。スペイン語でラップすると英語とは明らかに違う印象になるし、彼等が英語でラップしてもスペイン語風になまって歯切れがよくなる。以上のように他のラップミュージックとは明らかな違いを持つチカーノラップには、これだけを聞き、他のラップミュージックは聴かないというマニアも多数存在する。

【「チカーノ」で「ラッパー」】
上記のようなチカーノラップの特徴を有していない者、特にチカーノラップのコミュニティにあまり参加していないものはチカーノでラッパーであってもチカーノラップをしているとはみなされない。2メックスはアンダーグラウンド・シーンで活動しているのでチカーノであってもチカーノラップの文脈で語られることはまずない。

【カリフォルニアのチカーノラップの略史】
最初のチカーノラッパーであり、最高のチカーノラッパーの一人なのがキッド・フロスト(現フロスト)である。彼が1990年に発表したデビューアルバム「Hispanic Causing Panic」の先行シングルとしてリリースされた「La Raza」は、スペイン語と英語のバイリンガルスタイル、いわゆるスパングリッシュでラップされており、同じスタイルで一足先にリリースされていたメロウ・マン・エース(彼はキューバ生まれ)の「Mentirosa」とともに、チカーノにとどまらず、ラティーノでラップミュージックに触れるすべての人々に影響を与えた。
その後、1990年代前半には、ライター・シェイド・オヴ・ブラウンの「On A Sunday Afternoon(1992年)」と「Hey D.J.(1994年)」、N2ディープの「Back To The Hotel(1993年)」などのヒット曲が生まれた。
1990年代後半?2000年代初頭には商業的に大きな成功を収める新たなアーティストは登場しなかったが、現在存在するチカーノラップのレーベルの大半がこの時期に生まれた。
地元ヴァレーホからのヒューストンに移住したベイビー・ビーシュ改めベイビー・バッシュが2004年に「シュガ・シュガ」をヒットさせるのと平行して、先述したようなレーベルに所属するラッパーたちがにわかに注目され始めた。ロウ・プロファイルを代表するアーティストのミスター・サンチョ、自らのレーベル、ハイパワーを立ち上げ、オールディーズのアーティストとのコラボレーションもこなした多作家のミスター・カポーン・E、もはやローカリティを感じさせない楽曲を制作するプロデューサーフィンガズがほとんどの楽曲を手がけるリル・ロブなどが脚光を浴びた。

【他の地域のチカーノラップ】
下記の州やカリフォルニアのようなメキシコとの国境周辺だけでなく、コロラド州デンバーやイリノイ州シカゴにもチカーノラップのシーンは存在する。
「テキサス州」
テキサス州ヒューストンでまず見るべきチカーノラップの潮流としては、SPMと彼のレーベル、ドープ・ハウスがある。SPM(サウス・パーク・メキシカン)は、94年にドープハウスを設立すると、地道にミックステープを売るなどしてファンの基盤を作り、この地域に覇権を築いた。彼自身やドープハウスに所属する他のアーティスト、ラシード、ベイビー・ビーシュ、グリム、ラッキー・ルチアーノ、フアン・ゴッティ達は、同じ地元のスクリュード・アップ・クリックとの交流を持ち、彼等の音楽性を取り入れつつも自らのチカーノであるというルーツもにじみ出るような音楽性を作り上げた。
この地域の他のチカーノラッパーとしては、チンゴ・ブリングなどがいる。
「アリゾナ州」
この地域のチカーノラッパーはそれほど多くは知られていないが、NBライダーズ(元ナスティ・ボーイ・クリック)はカリフォルニアのチカーノたちに匹敵する人気グループである。トークボクサーをメンバーに含み、メロウさとファンクさの双方を前面に押し出したその作風で2004年のアルバム「NB Raidaz.com」を日本でもヒットさせた。


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