沖縄の染物「紅型(びんがた)」の人間国宝。
琉球王府時代、士族階級にのみ着用を許された、その全工程に精通した紅型職人。
【玉那覇有公について】
1996年5月重要無形文化財「紅型」保持者認定。
1936年10月、沖縄県石垣市大川。1951年、沖縄本島那覇市へ就職のため出る。1961年、25歳の時、琉球紅型三宗家の一つ城間家14代城間栄喜に師事し、伝統的な紅型技法を習得する。27歳には本格的に紅型の仕事を始める。古染型が伝える意匠やフクギ、藍などの染料、顔料、および型糊等の技法について研究を重ねながら技の錬磨に励んでいる。1975年頃から両面染の制作に取り組むようになる。
玉那覇は、意匠構想から仕上げにいたるまで、紅型の一貫した工程に精通し、意欲的に紅型を制作している。
作品の一つを見てみると、緻密にはりめぐらされた菱形の連続が生み出す整然とした流れの中にも、可憐な小さな花が描き込まれていて、その地の藍と小花の赤のコントラストが絶妙である。今や玉那覇有公の代表的な技法となった、手間と熟練を要する「両面染め」の技法を用いた作品である。
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